じじぃの「科学・芸術_432_グラミン銀行・バングラデシュ」

Grameen Bank at a Glance 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MgYes4bA7oM
グラミン銀行

グラミン銀行はなぜ貧困を減らせたのか? 2008年9月26日 日経ビジネスオンライン
2006年、グラミン銀行創始者ムハマド・ユヌスノーベル平和賞を受賞した。グラミンとはベンガル語で「農村」をさす。その名の通り、主に農村部の貧困層を対象にした融資を行っていることから「貧者の銀行」とも呼ばれる。
従来、貧困者に融資することはタブーであった。貧困者に貸しても返済率が低いからだ。しかしながら、1983年に創設されたグラミン銀行が導入した「マイクロクレジット」は、貧困層を対象にした無担保融資を前提としている。
融資対象を女性に限定し、また5人を1組としたグループを編成した仕組みは、女性のつながりの薄かったバングラデシュ社会に相互扶助の働きをもたらし、貧困層の生活向上に確実に寄与しているという。無担保でありながら貸し倒れ率2%と極めて低いところも注視されており、現在では、先進国がマイクロクレジットを取り入れるなど、世界的に影響を与えているシステムだ。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080924/171523/
『3つのゼロの世界――貧困0・失業0・CO2排出0の新たな経済』 ムハマド・ユヌス/著、山田文/訳 早川書房 2018年発行
バングラデシュの農村からニューヨークの街頭へ――起業家精神を広めるツールとしてのマイクロクレジット より
地球上で最も豊かな国々でも、多くの人が、貧困あるいは貧困に近い状態で身動きをとれずにいる。これは、雇用が収入を得る唯一の道になっているからだ。アメリカなどで見られる経済的な苦悩の多くは、大企業に依存して地域経済の繁栄を維持するシステムに人々が閉じこめられていることから生じている(この苦悩が、高まりつつあった怒りと不安と敵意に油を注ぎ、2016年の選挙でドナルド・トランプの驚くべき勝利をもたらした)。このような状態では、大企業が海外に移転したり、工場をオートメーション化したり、完全に廃業したりすると、コミュニティ全体が破壊されかねない。そして、有色人種など不利な立場にいて、職探しが最も難しい人々が主に暮らす地域では、失業が常態化し、人々が何世代にもわたって困難と苦しみの生活を送る運命を背負わされる。
バングラデシュで成果を見せつつあるのと同じように、アメリカなどの国でも、この問題を緩和するのに起業という解決法が重要な役割を果たせると私は信じている。その証拠として、グラミン・アメリカが成功しつつあることを挙げたい。バングラデシュグラミン銀行の方法と哲学をアメリカ各地に持ち込んだ銀行だ。
マイクロクレジットは、はたして豊かな国でも貧困者に力を与え、失業の悪影響を和らげることができるのかが、何十年にもわたり問われてきた。だからこそ、世界中の政府やビジネスのリーダーがグラミン銀行について研究し、そこから学ぼうとしてきたのだ。グラミン銀行を真似たアメリカ初の組織が、1987年にアーカンソーに作られた。アーカンソーアメリカでも指折りの貧しい州だ。私がヒラリー・ローダム・クリントンと友人になったのも、これがきっかけだった。当時、彼女はアーカンソーのファーストレディで、ホワイトハウスの住人となったりアメリカ上院議員や国務長官を務めたりするはるか前のことだ。
アーカンソーでの経験があるにもかかわらず、その後もこんなふうに主張する人がたくさんいた。アメリカとバングラデシュでは人と経済のしくみがあまりにも異なるので、グラミン式のプログラムはアメリカでは長続きしないだろうと。私はこれに断固として異論を唱え続けた。アメリカで実際にプログラムを立ち上げて私の考えを証明してはどうかと勧める人もいて、2008年、ついに私は思い切って行動に出た。マサチューセッツの熱心な起業家、ヴィダル・ジョーゲンセンから資金と経営の支援を受け、グラミン・アメリカ(GAI)を立ち上げたのだ。ニューヨーク市クイーンズ区ジャクソンハイツ地域に、支店をひとつ構えて出発した。
反応はすぐに見られ、しかも有望だった。資金を得て自分のビジネスを始めたり、すでに所有している小さなビジネスを拡大したりするチャンスがあると知り、さまざまな背景を持った多くの地元女性が奮起した。バングラデシュの場合と同じで、GAIの顧客もベースとなるのは従来の銀行では決して信用あるとは見なされなかった女性、つまり担保も資産も貯金も保証人も持たない女性たちである。持っているのはアイデアと、それを成功させるために一生懸命働きたいという熱意だけだ。
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これらの例からもわかるように、バングラデシュ農村の貧困者に向けて私たちが開発した資金貸与システムは、アメリカの恵まれない人にも同じようにうまく機能する。アメリカでプログラムを実施するにあたっては調性を施したが、ほんの表面的な調整にすぎなかった。人間の根源的な性質、とりわけ重要なのは起業家としての潜在能力で、これはどこの国でもどこの民族でも同じだったのだ。この経験によって私は希望を持つことができた。失業問題を解決するある方法がひとつの場所で機能すれば、いずれそれはあらゆる場所で機能させられるのだと。