じじぃの「科学・芸術_424_ヒトの秘密・戦争と集団虐殺(ジェノサイド)」

ダイアモンド博士の“ヒトの秘密”#10「集団虐殺はなくせるのか」 動画 Dailymotion
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!!!!!!Tasmanian Genoside!!!! 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CICV2np5QxA
Jared Diamond The Third Chimpanzee

Tasmanian genocide


ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” 「10 集団虐殺はなくせるのか」 2018年3月9日 NHK Eテレ
第10回のテーマは、戦争と集団虐殺(ジェノサイド)。
同じ種である人間を抹殺しようとするこの残虐な行為。これは人間が動物から進化する中で引き継いできたものではないか、とダイアモンド博士は考える。人間同士の争い。ヒトの歴史の中で繰り返されてきたこの行為を無くすことはできないのか?博士が進化をキーワードに、集団虐殺(ジェノサイド)の本質に迫る。
チンパンジー研究で知られる霊長類研究者ジェーン・グドールによれば、チンパンジーも集団虐殺を行なうことが記録されています。
とてもショッキングなことです。彼女の報告によると、ある群れのオスたちが他の群れのオス1匹ずつおびき寄せ、群れから孤立させたうえで、きわめて残虐な方法で殺していったといいます。
チンパンジーには銃や槍がないので、ゆっくりと何年かかけて近隣の群れを抹殺したのです。
チンパンジーの群れが集団虐殺に至った動機は1匹単位の殺し合いと同じ。縄張りやメスなどの資産を得るために。他から奪って自ら生き残るという進化の原理に基づく行動です。
生徒 以前倫理の時間に人を殺すときの罪悪感について話し合いをしましたが、動物の場合も同じ種で殺し合うときに罪悪感を見せたりするのですか。
ジェーン・グドールや他の研究者がチンパンジーの集団がハイエナやオオカミに対する殺し合いを観察していて、動物の罪悪感について研究したことはありません。動物は殺すとき罪悪感は感じていないということだと思います。
動物は”汝、殺すことなかれ”という道徳を教わらないからです。動物も自分の子どもやパートナーは殺しません。、でも、同じ種のチンパンジーを殺すなかれという規範がないのです。
文明社会とジェノサイド
集団虐殺では特定のグループが対象になってしまうことがあります。
例えば、宗教。ナチスによるユダヤ教信者の虐殺もその1例です。
宗教の違いによる虐殺の他に何か知っていますか。
生徒 十字軍の頃に、キリスト教信者とイスラム教信者がそれぞれ大規模な殺戮をしています。
そうだね、そして同じ宗教では中世キリスト教の異端者アルビ派に対して行われたアルビジョワ十字軍が知られています。
彼らは善と悪との葛藤にこそ救済がある。
なぜそれがいけないのか。でもその当時カトリックの教義とは相容れず、大規模な戦争に発展したのです。
さらに、ある民族を完全に抹殺してしまった極端な例としては、タスマニア島の原住民タスマニア人虐殺があります。
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=201-20180309-35-02440
『若い読者のための第3のチンパンジー ジャレド・ダイアモンド/著、秋山勝/訳 草思社文庫 2017年発行
シロかクロか より
1988年、オーストラリアは建国200周年を祝福した。現代国家としてのオーストラリアは、母国イギリスから2万4000キロ離れた植民地として始まった。入植者の多くは囚人で、懲罰として8ヵ月の航海を経てオーストラリアへと送り込まれてきたのだ。新たな故郷の国に着いて、なにが期待できるのか、どうやって生き延びていけばいいのか、まったく見当がつかなかった。飢餓状態がおよそ2年半にわたって続いたのち、ようやく補給船が到着した。このような厳しい始まりにもかかわらず、入植者は生き残り、開拓は成功して、民主主義が築かれていった。オーストラリアの人びとが誇りをもって建国を祝うのは、まったく当然のことだろう。
しかし、祝典はそれを抗議する人たちによって台無しになる。白人の入植者はオーストラリアの最初の人間ではなかったからだ。5万年前、この大陸に移住してきたのが、通常「アポリジニ」と呼ばれ、オーストラリア人のあいだでは「クロ(ブラック)」として知られている黒い肌をもつ人びとの祖先たちだった。イギリスによる入植が進む途中、もともとこの大陸に住んでいた先住民は殺されるか、あるいは病気によって命を落としていった。こうした理由を背景に、先住民の子孫である人たちが、白人の入植者が到着200年目を祝うこの祝典に対して、祝賀ではなく抗議の声をあげたのだ。
なぜオーストラリアは黒人の国ではなくなったのだろう。そして、血気さかんな白人の入植者は、私たちがジェノサイド(大量虐殺)と呼ぶ犯罪をどのようにして犯すようになっていったのか。ある集団に属する人間を一人残らず殺戮(さつりく)しようとすること、それがジェノサイドである。
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タスマニアアイルランドほどの面積をもつ山がちな島で、オーストラリアの南東の海岸からおよそ240キロの洋上に位置している。ヨーロッパ人がこの島を発見したのは1642年のことであり、そのころ島には5000人ほどの狩猟採集民が住んでいた。
タスマニア人はオーストラリアのアポリジニの近縁に当たる。その技術力はたぶん現代人のなかでももっとも素朴なもので、石と木でほんの数種の道具を作っていた。アポリジニとは違い、ブーメランはなく、犬や網や裁縫も存在せず、火の起こし方も知らなかった。海を渡って長い旅に出る方法をもたず、1万年前に海面が上昇してタスマニアとオーストラリアが分断されると、以来、自分たち以外の人間と接触する機会は途絶えた。そして、オーストラリアの白人の入植者がこの隔離状態に終わりをもたらしたとき、地球上において、このときのタスマニア人と白人に匹敵するほど、互いに対する理解が乏しい異民族の出会いはかつてなかった。
1800年ごろ、イギリスのアザラシ猟の猟師と入植者がこの島に到着したとたん、2つの民族をめぐる悲劇的な衝突はただちに激しい対立に変った。白人は島の女や子どもをさらい、男たちを殺すと島の猟場へと踏み込んでいき、この島からタスマニア人を一掃しようとたくらんだ。北東部にいたタスマニア人は、1830年までに男性72名、女性3名、そして子どもはゼロにまで減少していた。虐殺の一例をあげるなら、白人の羊飼い4名の待ち伏せにあい、30人のタスマニア人が殺害されたばかりか、その遺体は、現在でも一部のオーストラリア人が「ビクトリーヒル(勝利の丘)」と呼ぶ崖から投げ捨てられた。
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タスマニアは数の点では少なかったが、オーストラリアの歴史に絶滅がもつ意味は大きかった。オーストラリアの「先住民問題」を解決できた最初の植民地がタスマニアだったからである。オーストラリア本土の大勢の白人が、タスマニア人と同様な解決策を欲したが、同時にそこから学んだものも少なくなかった。タスマニア人のジェノサイドは、都市の新聞社の記者が見守るなかで実行されていたため、反対する声があがっていたのだ。そこで、数においてはるかにまさる本土のアポリジニの根絶は、都市部から離れた辺境の地で実行された。