外務省: わかる!国際情勢 Vol.38 多文化主義と多国間主義の国、カナダ
●カナダに暮らす200以上の民族
多文化主義政策の下、現在のカナダには200を超える民族が生活しています。さらに毎年20万人以上の移民を受け入れており、近年はアジアからの移民が増加傾向にあります。なかでもイギリスから中国への香港返還(1997年)をきっかけに、香港からカナダへと移住する中国系移民が増えています。
カナダの公用語は英語とフランス語ですが、実に多様な民族が共存していることから、ドイツ語、イタリア語、中国語など様々な言語が日常的に使われており、新聞・雑誌などは40か国語以上で発行されています。これは、民族や人種が融合し、「人種のるつぼ」とも呼ばれるアメリカ社会などとは異なる国家形成のあり方です。冷戦後の世界で民族間の対立に端を発する紛争が絶えない中、カナダは多様な民族が平和に共生し、一つの国家を形成する「モザイク社会」(mosaic society)の好事例として、世界から注目を集めています。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol38/index.html
WHITESHIFT――白人がマイノリティになる日
【目次】
第1章………白人がマイノリティになる世界―ホワイトシフト
■第1部・闘争
第2章………ホワイトシフト前章アメリカ史におけるWASPから白人への転換
第3章………トランプの台頭―移民時代の民族伝統主義的ナショナリズム
第4章………英国― 英国保護区の崩壊
第5章………欧州における右派ポピュリズムの台頭
第6章………カナダ特殊論― アングロスフィアにおける右派ポピュリズム
■第2部・抑圧
第7章………左派モダニズム―一九世紀のボヘミアンから大学闘争まで
第8章………左派モダニズムと右派ポピュリストの戦い
■第3部・逃亡
第9章………避難― 白人マジョリティの地理的・社会的退却
■第4部・参加
第10章………サラダボウルか坩堝か? ―欧米における異人種間結婚
第11章……白人マジョリティの未来
第12章……「非混血の」白人は絶滅するのか?
第13章……ホワイトシフトのナビゲーション―包摂的な国の包摂的なマジョリティへ
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『WHITESHIFT――白人がマイノリティになる日』
エリック・カウフマン/著、臼井美子/訳 亜紀書房 2023年発行
白人マジョリティが徐々に、白人の伝統的文化を身につけた混血人種のマジョリティへと変容していくモデル。
英国では2100年代に混血の人々がマジョリティになると著者カウフマンは予見する。
カナダ特殊論?
オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、カナダの歴史には多くの類似点がある。どの国にも英国系を核とした優勢なエスニック集団が存在し、その後、他の欧州諸国の集団を包摂して拡大してきたということである。カナダは民俗的に2つに分かれた国で、ケベックとアカディアにはフランス人という民族(エスニック)の核があり、それ以外の地域には、英国人から転じた「白人」という民族の核がある。英国人という核は他の欧州のグループと融合してきたが、カナダ英語圏とオーストラリアでは、東欧・南欧系の占める割合は、1960年代以前はアメリカと比べると非常に小さいものだった。たとえば、1971年にはカナダ英語圏では英国人とアイルランド人が60%を占めていたが、アメリカではその割合は30%ほどだった。
第二次世界大戦以前、北米とオーストラリアはアジア人の移民をおおむね禁止し、英国人を他の欧州人よりも優遇していた、カナダでは、1896年から1904年にかけて、リベラルなクリフォード・シフトン内務大臣の下、西部入植奨励とアメリカの拡大防止のためにドイツ人と東欧人の入植者に門戸が開かれると、国内の英国系ナショナリストはこれに抵抗した。オレンジ結社と大英帝国の娘大英帝国騎士団(IODE)を含むこれらの英国王党派のグループは、他の英国系カナダ人と協力し、シフトンを辞任に追い込んだ。
こうしていったん下がったカナダへの移民の英国人の割合は、1920年までには60%に回復したが、次第に縮小して、1930年までには流入者の3分の1となっていた。これに対応し、1931年、カナダではアメリカの1924年出身国別割り当て移民法と趣旨の似た大英帝国優遇移民制度が制定された。
そのカテゴリーは優先順位の高い順に以下のとおりである。1、英国と「白人」の大英帝国自治領であるオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランド、ニューファンドランドの英国臣民。2、アメリカ市民。3、カナダ在住の男性の血縁者。4、カナダで農業に従事する十分な財力のある農業の専門家。
1923年と1928年には同様に東洋人排斥法も制定された。そうした1941年には、移民における英国人の比率は90%にまで回復していた。
異なる性質の社会?――英国圏カナダの欧米
移民の多い欧米諸国のなかで、国内のすべての政党が寛大な移民政策と多文化主義を支持し、右派ポピュリストの脅威に直面していないのはカナダだけである。だが、詳しく調べると、そのように特殊なのは英語圏カナダだということがわかる。ケベック州は英語圏カナダよりも移民が少ないにもかかわらず、右派ポピュリスト政党があり、世論の動向は欧州に近い。英国系カナダ人ほど英国王室への忠誠に多くを注ぎ込んだグループはなかったが、大英帝国が崩壊すると、このアイデンティティも一緒に消滅した。この英国王室への忠誠心の崩壊によって、カナダの伝統の重心はリベラリズムへと移っていった。やや抽象的な英領カナダの概念は、血統と政治的起源を融合させたものだが、中心に据えられた特定のカナダの入植者集団(英国王党派の統一帝国建国神話は大英帝国と密接な関連があった)はなく、このことは、英国ナショナリズムの崩壊後も存続する民族の創設神話や民族意識は存在しないことを意味している。保守主義者にはエスニック・マジョリティのナラティブの構築を可能にする歴史的資源があったが、実際にできあがったものは何もなかった。民族復興に必要とされる知的な作品がないために、英語圏カナダには、ケベック州のように民族の伝統を守る重要な社会的勢力は存在しないのである。したがって、英語圏カナダには、決してよそでは見られない、世界主義的な事業のためのきわめて肥沃な土壌がある。そのため、リベラルは文化大国への道を開き、伝統的な経済的開放性と左派モダニズムを融合させて、多文化主義にもとづく伝統的ナショナリズムを定着させることができたのである。
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移民に関して、アメリカは欧州の多くの国よりは若干リベラルだが、カナダやオーストラリアよりやや保守的だ。この一部はアメリカの白人プロテスタント入植者の伝統によるものだが、同時に、この国の移民制度が選抜制でなく、移民の多くが低技能者だという事実から生じたものだ。アメリカが高技能者の移民を選別することができていたなら、その移民政策は2015年までのカナダとよく似たものになっていた可能性もある。アメリカのポピュリズムへの転換は確実に進んでいるが、移民と多文化主義に反対する欧州スタイルの主流化が明らかなのは右翼メディアと共和党だけである。左派のメディアと民主党は、欧州の中道左派政党よりも率直なやり方で多文化主義と移民を支持しつづけている。アメリカ人の左派の多くは暗黙のうちに不法移民を歓迎し、それによって、オーストラリアやカナダの左翼政党より過激化が進んでいる。
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ポピュリストが躍進し、中道右派の言説を変えなければ、移民と多文化主義への反対を呼びかねない政商やメディアコンテンツは、英国系カナダ人のエリートの規範の制限を受けつづけるはずだ。そうすればポピュリスト・スパイラルが始まることはないため、システムは安定している。英国系民族主義的な有権者は、投票を棄権するか、もしくは不本意ながら少しでもましな選択肢に投票するしかないだろう。保守的な、もしくは秩序を求める30~40%の白人の英国系カナダ人にとって、カナダの社会は不本意なものになるだろう。それはちょうど、ハンガリーやポーランドの社会がリベラルな世界主義的傾向をもつ人々に対して厳しいのと同じである。
一方、ケベック州では、人々が社会の性質を思うように変えられるため、おそらく時間の経過とともにポピュリスト勢力が州を移民削減の方向に導くだろう。これは、次第に非欧州化するカナダの他の地域と、ケベック州の民族文化との相違によって、連邦政府の移民政策や多文化主義政策を脅かすような緊張が起こらないことを意味している。こうして、英語圏カナダは他の西洋の民主主義とは異なる道を歩み、今世紀後半にはガイアナ[南米で唯一の英連邦加盟国]やベリーズ[英連邦の立憲君主国で、中米で唯一英語を公用語としている]のような真の多民族、多極社会となるだろう。そしてグレーター・トロントを超える大規模トロントが生まれるはずだ。つまり、英国や欧州の歴史とのつながりが希薄になった、活力に満ち、地域の結束力の弱い、未来志向の社会である。民族と所得を超えたつながりが続く限り、この構造は福祉国家や民主主義を脅かすことなく、社会は繁栄と安定を続けるはずである。