ダイアモンド博士の“ヒトの秘密” 第8回「“進化”から見た文明格差」 動画 dailymotion.com
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Jared Diamond The Third Chimpanzee
肥沃三日月地帯(Fertile Crescent)
イラストでわかる『銃・病原菌・鉄』 2016-01-22 orangestarの雑記
『人の移動や技術の伝播は水平方向は早いが、縦方向には遅い』んですね。
水平方向の移動、つまり東西に移動する場合には、気候の変化、昼夜の時間の変化はあまりありませんが、南北に移動する際にはその気候の変化、昼夜の変化に対応しなければなりません。人間の淘汰によって身体が厚さ寒さに耐えられるように変化するのを待つか、服、が発明されるのを待つんですね。
http://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2016/01/22/073000
ダイアモンド博士の“ヒトの秘密 「8 “進化”から見た文明格差」 2018年2月23日 NHK Eテレ
第8回のテーマは「格差」。
ヒトは、狩猟採集の暮らしから少しずつ農業に移行してきた。しかし、そのタイミングとスピードには、地域によって大きな違いがあった。どのような条件が、その差を生んだのか。また、それは、後の人々の暮らしに、どのような影響を与えたのか。ダイアモンド博士が、ヒトの文明の謎に切り込んでいく。
なぜ、世界には豊かな国と貧しい国があるのでしょう。
世界経済における根源的な問題。誰か簡潔に答えていただけませんか。黙ってしまうのも無理はない。経済学でもこの疑問に答えが見つかっていないのです。
アフリカは世界でもっとも貧しい地域です。この格差を生んだ大きな1つは、農業の始まりの不均衡にあるといいます。
農業は人口を増加させ、人に力を授けました。もし農業がそんなに魅力的ならば、狩猟採集民はこぞって移行したはずです。
しかし、農業に移行する地域はごく限られていました。
植物の栽培と動物の家畜化
世界で最初に農業が始まったのは、中東、中国、南アメリカのアンデスなど9ヵ所です。
農業はなぜ他の地域を差しおいて、この地域(9ヵ所)から始まったのでしょう。
それは品種改良して栽培できる植物や家畜できる動物がたまたまこの地域に生息していたからです。
ビッグ5 → cow(牛) sheep(羊) soat(やぎ) pig(豚) horse(馬)
その他、トナカイ、ラクダなどを入れて14種類家畜化された。
これら動物の家畜化に必要なのは、リーダーに従うという性質です。また、1年半経ったら食料になるぐらいの大きさに成長することも必要です。
特に優秀なビッグ5は「肥沃な三角地帯」に生息していました。
肥沃な三角地帯はイラン、イラクからトルコ南西部、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナに渡る三ヶ月の形をした地域のことです。
続いては野性の植物。野生の植物はそのほとんどを品種改良を行って栽培できませんでした。
食料にできるのはほんの野性植物だけ。主に種の大きな穀物だけでした。
たとえば、小麦3種と大麦はすべて肥沃な三角地帯に自生していました。
稲は中国と東南アジアに自生していました。
アメリカ大陸ではトウモロコシ。こういった植物は今でも貴重な食料です。
https://hh.pid.nhk.or.jp/pidh07/ProgramIntro/Show.do?pkey=001-20180223-31-30090
『若い読者のための第3のチンパンジー』 ジャレド・ダイアモンド/著、秋山勝/訳 草思社文庫 2017年発行
農業がもたらした光と影 より
現代の狩猟採集民は何千年にもわたって農業社会に隣接しながら暮らしてきた。しかし、農業革命がおこる以前、狩猟採集民はどのような生活を送っていたのだろう。はるか遠い過去の時代に生きていた人たちの生活は、狩猟から農業に切り替えてからはたして向上したのだろうか。
古病理学者のおかげで、こうした疑問に対しても答えを出せるようになってきた。古病理学者は大昔に生きていた人びとの遺骨から病気の徴候を研究している。身長が歴史的にどのように変化してきたのかを見てみよう。栄養状態が改善された結果、現代人は9〜10世紀前に生きていた人たちよりも身長が伸びたことは知られている。たとえば、中世の城の入り口に入るときに身をかがめなくてはならないのは、栄養不足のせいで、当時の城はいまよりも身長が低かった人に合わせて建てられていたからなのである。
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アメリカ大陸では通常、トウモロコシは神からの贈り物のひとつだと当たり前のように考えられてきたが、公衆衛生上の点からすると、実際には災いをなすものだった。同様なことが世界の各地でも起きていたのは、この地以外の研究から明らかになっている。狩猟採集から農業への移行とは、公衆衛生にとって決して好ましいものではなかったのである。
農業がもつ否定的な影響については、すくなくとも3つの点から説明があげられるだろう。第1に、狩猟採集民はたんぱく質とビタミン、ミネラルに富んだ多彩な食べ物を口にしていたが、農民はおもにデンプン質の作物ばかりを食べていた。今日でもなお、わずかな3種の高デンプン質の植物、小麦、米、トウモロコシによって、ヒトという種が食べるカロリーの半分以上がまかなわれているのだ。第2に、わずか1種か数種の作物に依存してしまうと、農民は栄養失調に陥るばかりか、肝心の作物が凶作に見舞われたとたんに餓死に瀕してしまうことになる。アイルランドのジャガイモ飢饉などその好例だろう。
最後に、現在でもなお猛威を振るっている伝染病や寄生虫は、農業に移行するまでは確たる勢いをもっていなかった。こうした病気がはびこるのは、人口が密集し、栄養不良の定住者の住む社会に限られ、住民は互いのあいだで、あるいはみずからの排泄物を介して絶えず病気をうつしあっていた。
集団感染する伝染病の場合、規模も小さく、人数もまばらで、たびたびキャンプを移動する狩猟民の集団では長生きすることはできない。結核やハンセン病、コレラの発生は農村が勃興してからのことで、天然痘、腺ペスト、麻疹(はしか)は、都市に集中して人口密度が高まったわずか数千年前になってから出現するようになったのである。