じじぃの「科学・芸術_397_北京のお墓事情・八宝山革命公墓」

八宝山革命公墓 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=XnqP6_Lfbps
八宝山革命公墓
  
『北京を知るための52章』 櫻井澄夫、人見豊、森田憲司/著 赤石書店 2017年発行
北京のお墓 【執筆者】福島香織 より
中国はかくも広く気候も風土も違うので、各地域によって葬式文化やお墓事情も当然違う。現在は火葬が基本だが、一部小数民族地域や農村では土葬も許可されている。また許可されていなくても勝手に土葬にしている農村も少なくない。北京のお墓事情の最大の特徴は、まず首都であり政治の中枢であるという事情から、党中央の貢献者たちが入る革命公墓・八宝山があることだろう。
八宝山は元の名は黒山といい、北京西山前の平原に残る高さ130メートルほどの丘だ。
この付近から青灰や白土、黄姜など8種類の顔料、土が採れることから八宝山と名付けられているという説もあれば、麓に黄金の牛や馬など8つの”お宝”が埋まっているという伝説がその名の由来という説もある。八宝山南麓には元の至正年間に雲海和尚が建立した霊福寺がもともとあり、明朝永楽時代に宦官たちの墓が作られ、そばに延寿寺が立てられ、のちに褒忠護国寺と改名された。ここには永楽帝の名称・剛鉄の墓があり、その墓碑と亀趺もある。
日中戦争で犠牲となった国民党軍兵士を祭る忠霊祠が作られた時期あったが1949年になると、この寺および周辺の土地は中華人民共和国政府に収用され、1950年に「北京市革命公募」と名付けられた。1970年に今の「北京市八宝山革命公墓」の名前となった。公墓の近くには北京市最大の焼き場と葬儀場があり、市内の3分の2の火葬がここで行われている。周恩来訒小平もここで火葬された。八宝山北麓には人民公墓があり、また近くには老山公墓、老山納骨堂など一般向けの公墓もある。
     ・
毛沢東の妻、江青は、党のナンバー2まで登りつめながら、文化大革命を主導した四人組の一人としてその罪を背負い、革命公墓には入れてもらえなかった。執行猶予付き死刑判決を受けたのち1991年5月14日に、病気療養仮釈放中に自殺。「故郷の山東省諸城に埋葬してほしい」という本人の希望も聞き入れてもらえず、毛沢東との間の一人娘・李納は、自腹で北京市の福田共同墓地に墓を建てた。墓碑も李雲鶴という幼名で、江青の墓であることは伏せられ、埋葬者の名もない。だが、2009年の建国60周年記念ドラマ「解放」で江青毛沢東を支えた賢女に描かれたことをきっかけに江青ファンが増え、参拝するようになった。習近平政権になってからは、勢力を盛り返した毛沢東親派の党内極左勢力が江青再評価を仕掛けていることもあり、最近は献花が絶えることはない。
このように死後も権力闘争の影響を受け、なかなか心やすらかに眠ることができない北京の革命公墓だが、一方で、民間の墓にもいろいろ問題がおきている。
北京に限らないのだが、人口の急増で、深刻な墓不足である。北京の一般的な墓は、基本1人用であり、最大夫婦2人用。すでに北京には33の公墓があるが、新しく(使用権を)売れる墓地はほとんどなく、残りの墓地は0.7平方メートルくらいの広さのものが5万元前後から数十万元(使用年限50〜70年)と高騰中だ。市政府は市内に新たな墓地開発を禁止しており2050年には、空いている墓はほぼなくなる見込みという。
市内に納骨場所がないので、河北省など周辺地域に北京市民用の公墓もでき始めているが、これも値段は高騰してきている。こうしたことから政府は近年、家族で1つの墓を使用する家族墓を奨励したり、墓地に納骨せず、河北省北戴河や天津の海に散骨する「海葬」を奨励している。将来的には中国には墓のない市民が増えていき、そうなると、毎年清明節(4月5日前後)に墓掃除をするといった中国的墓文化も、北京のような大都市ではすたれていくことになるかもしれない。