じじぃの「人の生きざま_770_塩野・七生(小説家)」

古代ローマ軍の歴史1 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dz6ne-IJgDk
塩野七生ローマ人の物語


ローマ人の物語――ローマ誕生、王政から共和政へ。 新潮社
塩野七生 シオノ・ナナミ
1937年7月7日、東京に生れる。学習院大学文学部哲学科卒業後、1963年から1968年にかけて、イタリアに遊びつつ学んだ。
1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくみ、一年に一作のペースで執筆。
1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2001年、『塩野七生ルネサンス著作集』全7巻を刊行。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2006年、「ローマ人の物語」第XV巻を刊行し、同シリーズ完結。2007年、文化功労者に選ばれる。
ローマ人の物語 1―ローマは一日にして成らず〔上〕 塩野七生/著
前753年、一人の若者ロムルスと彼に従う3千人のラテン人によりローマは建国された。
7代続く王政の下で国家としての形態をローマは整えてゆくが、前509年、共和政へ移行。その後、成文法制定のために先進国ギリシアへ視察団を派遣する。ローマ人は絶頂期のギリシアに何を見たのか―― 。比類なき大帝国を築きあげた古代ローマ。その一千年にわたる興亡の物語がいま幕を開ける。
http://www.shinchosha.co.jp/book/118151/
『逆襲される文明 日本人へIV』 塩野七生/著 文藝春秋 2017年発行
中国に行ってきました より
と言っても北京に1週間、ではあったけれど、中国語版『ローマ人の物語』15巻の出版が完了したので招待されたからだが、新刊書の販売促進には熱心んでない私でも、自分の作品を誰がどのように読んだかには興味がある。それで、中国行きをOKしたというわけだが、私の見た中国人はコワモテやシタタカどころか、笑っちゃうくらいに矛盾に満ちた人たちだった。なぜなら、あの大気汚染の中で、喫煙できる場所を探すのが東京以上にむずかしかったのだから。
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尖閣問題についての質問はなかったが、歴史認識については日を変え人を変えて何度となく質問された。こういう問題には私でも真正面から答える。即ち、歴史事実は1つでも、その事実に対する認識は複数あって当然で、歴史認識までが一本化されようものならそのほうが歴史に接する態度としては誤りであり、しかも危険である、と答えたのであった。うなずいていたから、一応にしろ納得したのかもしれない。譲れない一線は誰であろうと譲らない、いや譲ってはかえって、相手の知性を軽視することになると私は思っている。
とはいえ、この種の真剣勝負ばかりではない。翌日に行われた大型書店での読者との交流では笑いが起るほうが多かった。一例を引けば次のような具合。一人が、中国史上の人物では誰が好きか、と聞いてきた。私の答えは、曹操。なぜかという問いには、セクシーだから、の一言。これにはただちに皆が笑ったから、通訳の必要はなかったのだ。以前には悪人としてしか評価されていなかったという曹操だが、今の中国の若者たちには大人気なのだそうである。
最後の山場は、中国金融博物館というところでのシンポジウム。国営企業ばかりという感じの北京で私営を誇りにしているこの博物館の理事長の王魏氏とは、こういう中国人もいてよいのかと心配になるくらいのリベラルっぽい人で、中国版『ローマ人』に推薦文を寄せてくれた人でもある。その推薦文によれば、私の書いたローマ史は「中華文明を鞭打つ原動力」になりうるものであり、その理由は古代のローマ人が実践していた、異教徒や異民族の受け入れと吸収に示された自信と寛容、正当な競争と開放の政策、自由の追求とそれを守り抜くことに示された人間性への洞察と権利の尊重にあるというのだから、非中国人の私としては、いやはやとでも言うしかないではないか。
面白かったのは、もう一人の相手方であった任志強氏である。簡単には笑わないという感じの面構えの人で、私はすぐさま「ミスター三国志」と名づけた。そのミスター三国志だが、国営企業の社長でいながらブログを通しての政府への批判も遠慮しないということで若い世代からの人気がすこぶる高く、それでいて仕事上の成果も高いので政府もめったなことでは手を出せないばかりか停年を3年も延長せざるをえなかったという人物。おかげで、書いた回想録もたちまち百万部売れちゃった、という人である。
このミスター三国志が私に言った。回想録は政府の検閲機関によって150箇所も削除されて薄くなってしまったが、あなたの国ではこの種のバトルは起こらないでしょう、と。私は笑いながら答えた。いや起りますよ。ただし日本では、バトルであろうとも資本主義的。出版社側が言うのは、このままでは分厚くなって値段も高くなるから売れ行きも落ちる。だから削除して薄くしてはどうか。これに対して著者は、神は細部に宿るなどという正論をふりかざして削れないと言い張る。と言ってももともとが資本主義的なバトルだから、結果もすこぶる資本主義的に落ちつくのです。つまり著者が、売れなくてもかまわない、と叫んで終りになる。ミスター三国志も、これには破顔一笑しましたね。