知恵泉・邪馬台国古代ミステリー(2)女王卑弥呼の謎 動画 dailymotion
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天皇の起源は卑弥呼だった!? 「卑弥呼=天照大神」説が浮上 2013.05.15 NEWSポストセブン
日本の古代史において、大きな謎となっているのが邪馬台国の女王・卑弥呼。そもそも卑弥呼とは、いったい何者だったのか。
実在が確実とされる天皇の在位年数から、日本神話に登場する天皇の在位年数を推測すると卑弥呼と天照大神は年代が丁度重なるとし、天照大神は卑弥呼を神格化したものであるとする説だ。
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『「誤解」の日本史』 井沢元彦/著 PHP文庫 2012年発行
邪馬台国=ヤマトの動かぬ証拠 (一部抜粋しています)
なぜ「邪馬台国」を「やまたいこく」と読むのかというと、実は江戸時代の学者(本居宣長と言われている)が「やまたいこく」と読んだからなのです。
「台」という字に注目してみましょう。この字は「台湾」などと使われているように、今は確かに「たい」ないし、「だい」と読みますが、「邪馬台国」という言葉が初めて書かれたのは、中国の三国志の時代です。中国の正史『三国志』に収められている『魏志』倭人伝に、この言葉が出てきます。書いたのは、陳寿という歴史家です(台(臺)という字が使われたのは、もっと後だという説もありますが、ここではとりあえず触れないこととします)。
したがって、「邪馬台国」をなんと読むかというと、当然『三国志』が書かれた時代にこれをどう発音していたかを調べなければなりません。しかし、日本のほとんどの歴史学者たちは、そんなことには無頓着で、あまり気にもしていません。
私は以前、テレビ番組の企画で、台湾にいた中国の古書を研究している音韻学者に会いに行き、実際に「邪馬台」という文字を発音してもらいました。中国語は日本語よりも音韻の数が多いのでカタカナで表記するのは難しいのですが、私には「ヤマド」あるいは「ヤマドゥ」に近い音に聞こえたのです。
これは、論より証拠ではありませんが、ヤマト朝廷のヤマト、大和国のヤマトとみて間違いないでしょう。
邪馬台国については、その所在地論争などともからんで、はたして大和朝廷の前身だったか否かという議論がそれこそ江戸時代から繰り返されていますが、これは私に言わせればまったく無駄な話です。
「邪馬台」は古代の中国語ではヤマトに通じるのですから、大和朝廷と関係があることは疑いようもありません。この2つは明らかに兄弟なのです。もちろん、その他に傍証として、邪馬台国の首長である卑弥呼は女王だったということも挙げられるでしょう。なぜなら、大和朝廷の祖先神も太陽神の天照大神という女神だからです。
太陽神が女神という民族は、実は世界でも珍しく、ギリシャでもローマでも、太陽神は普通、男です。男神の太陽神に対して、大地が女神であるというのがスタンダードな組み合わせなのですが、日本は太陽神が女性であるという、ある意味非常に変則的なスタイルなので、それはやはり、なんらかの歴史的事実を反映しているのではないかと考えるべきでしょう。つまり、卑弥呼が女王として邪馬台国=ヤマトに君臨していたという事実を反映したからこそ、大和朝廷は天照大神という女神を祖先神とするようになったと解釈するのが自然だと思います。
天照大神とは、実在の女王卑弥呼をモデルとしたものだということです。
この卑弥呼という女性、私は「ひのみこ(日の巫女)を意味する名前で、つまり卑弥呼は太陽を祀(まつ)る女性だったと思っています。
しかも私は、実は卑弥呼は殺されたのではないかと思っているのです。
邪馬台国は日本の国家形成期に起こった戦争で負けてしまいます。それは皆既日食が原因だったがために、卑弥呼の太陽に対する祀り方がおかしいせいだ、ということにされ、彼女は敗北責任を取らされる形で殺されたのではないかと、私は考えています。
ただ、殺された人間というのは往々にして神格化されます。特に恨みをのんで非業の死を遂げた人間は、祟(たた)り神になるといけないので、神として祀り上げられる傾向を持つのです。そこで実在の人物、卑弥呼が朝廷の祖先神とされる天照へと転化され、神格化がなされたのではないかと思います。