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『すばらしい人間部品産業』 アンドリュー・キンブレル/著、福岡伸一/訳 講談社 2011年発行
機械論的な「からだ」 より
聖なるはずのからだは徐々に俗なるものへと変化してきた。からだはもはや神の姿を摸倣したものではなく、工場における機械と同様なものととらえられている。神のイメージは現代的な見方に道を譲ってしまった。すなわち、からだは機械となったのである。
生命を機械論的にとらえるというのが、今日の基本的な考え方である。第16回国際遺伝子会会長のロバート・ハイネス博士は次のように述べて、バイオテクノロジー時代の中心となる考え方が、機械論であることを改めて聴衆に向かって強調した。
少なくとも過去3000年のあいだ、大多数の人間は、人類が特別の、不可思議な存在であると考えてきた。これがユダヤ教とキリスト教共通の人間観だ。遺伝子操作が可能となったいま、何がわかったかといえば、人間が生物機械であることが非常に明確になったということがいえよう。
生命は神聖なものであるという基本の上に、伝統的な考え方は成立してきた。しかし、もはやそうではない。生物には、何か特別な独自なもの、神秘的なものが備わっているという考え方で進んでいくことは、もはや成り立たないのである。
この科学者の主張は何も特殊な例ではない。これより数ヵ月のニューヨーク」・タイムズの社説には「工業化させる生命」と題して、次のように論じられている。
「人間は生物機械であり、いまや改変したり、クローン化したり、特許化したりできる。これによる影響は重大なものとなりうるが、一度に少しずつしか進展しない。だから十分制御できるものである」。
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思想は次つぎと発展してゆくものである。機械論的動物観は機械的人間観に発展し、それが生命の商品化と人間部品産業の基本的思想を提供したのである。歴史家ドナルド・ウォースターはデカルトとその流れをくむ思想家たちの業績をとらえて、次のように述べている。
「動物を格下げして、無感覚の物体、あるいは内的指向性や精神をもたない原子の集合体とみなすことによって、彼ら思想家たちは、とどまることのない経済的搾取への最期の障壁を取り除いてみせたのである」。
この思想の縮図として、現在の動物生殖細胞の遺伝子操作や、動物を遺伝子組み換えして、高価な生体成分を産出する工場へのつくり替えがなされているのである。機械論的動物観がきわまった結果として、動物の特許化思想があり、法的に動物を機械として、あるいは生産物として定義するという行為がまかり通るのであある。ラ・メトリーの機械論的人間観は、何世代にもわたって科学者や思想家に受け継がれた結果、20世紀の人間部品産業が血液、臓器、さらには胎児までをも商品化することに道を開いた。滑車やポンプ、ガス管や水道管が商品なら、人間の部品も商品とできるはずだというわけである。あとはそれを利用する医療技術の進歩さえ実現すれば、人間の部品に価値が付与されることになるはずである。結果として、臓器移植技術、生殖技術、遺伝子操作技術などの進歩が、いずれも生命の商業化への道を開いたことは、これまで見てきたとおりである。
機械論的思考は、西欧文明が工業化時代に入るとますます先鋭化していった。複雑で高度な機械が次つぎと開発されるにつれ、生体の機械論的理解も進化していった。20世紀になると、機械論の主張者は、ちょうど動力装置が最も発揮するように改良されたのと同じように、最も効率のよい生物をつくり出そうとしはじめた。
この試みは、人間の生活と人間部品産業に多大な影響をもたらすことになった。さらにこの動きは、20世紀における最も有害な行為とでもよぶべきものへ、直接関連してゆくことになる。
それは優生学である。