じじぃの「神話伝説_182_ビンゲンのヒルデガルト(修道女・神秘家)」

Hildegard von Bingen - Music and Visions 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Q8gK0_PgIgY&list=RDQ8gK0_PgIgY#t=33
Religion Book Review: Hildegard of Bingen: Scivias (Classics of Western Spirituality) by Hildegard 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=T-x2ldw_LhE
Hildegard of Bingen

Fides Quaerens Intellectum
http://nathaniel-campbell.blogspot.jp/2013/05/Hildegard-of-Bingens-Visio-Theological-Designs-in-Rupertsberg-Scivias-Manuscript.html
ビジョン ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの音楽の奇蹟 シスター・ジェルメーヌ・フリッツ (アーティスト) amazon
時の流れを超え、鮮烈でデリケートな味わいを現代に伝えるヒルデガルトの聖歌。ここではシンセサイザーでコーティングされ、幻想的なムード音楽として楽しめる。中世屈指の才女による霊感に満ちた曲は、編曲によっても人々の心に訴える力を失わない。

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『教科書では学べない 世界史のディープな人々』 鶴岡聡/著 中経出版 2012年発行
幻視に天国を見た修道女 「私はある天上のヴィジョンを見た」 (一部抜粋しています)
ウンベルト・エーコが『薔薇の名前』で見事に描ききった中世の修道院という世界は、現代の俗世を生きる私たちには何かミステリアスで神秘的なニュアンスがつきまとう。ましてや女子修道院となるとその神秘性は一層深まるのはなぜだろう。男子禁制の世界にエロティックな妄想を思い描いてしまう私の邪念からだろうか。しかし、ビンゲンのヒルデガルトの一見奇怪な幻視を共有したとき、そんな妄想は一蹴された。そこにあるのは中世そのものの原風景、現代人の遠く及ばない聖性であった。
奇怪な図像(画像参照)である。金地の背景に大きな石の門、あるいは左右対称の境界のような建物が描かれ、真ん中には修道女とおぼしき年齢不詳の女が、赤い縁取りのある板または羊皮紙に何やら書きつけている。
そして、何より不気味なのは修道女のア為に、門の上方のアーチから5本の動脈のようなものがとりついて、彼女の生き血を吸い取っているように見える図番だ。あたかもそれはトランスにつながった5本のケーブルのようでもあり、彼女の頭から発している焔(ほのお)のようでもある。不気味な緊張がみなぎっている。さらに、右側の塔からは初老の修道士が彼女の書きつけを静かに見守っている。
いったいこの絵は何なんだろう。
『スキヴィアス(Scivia=神の道を知れ)』と題された図像集の巻頭に描かれたこの絵は《女幻視者》。この幻視者こそ中世ヨーロッパ最大の賢女といわれたビンゲンのヒルデガルト(1098〜1179)その人である。
彼女は言う。「わが生涯の43番目の年に私はある天上のヴィジョンを見た。おののきつつ、大いなる畏怖とともに私の精神はそれに向かって張りつめた。ひとつのいとも大いなる輝きを、そこから天上の声がとどろき渡った」(『ビンゲンのヒルデガルトの世界』種村季弘著/青土社)。
「か弱き人間よ、灰の灰、黴(かび)の黴よ、汝の見るもの聞くものを言え、また書け! されど目にしたものを述べるのに、汝は(聖書)解釈の素養もなく、無学にして、語ることを恥じているのであるからして、人間の語り方によらずして、すなわち人間的作為の認識にも人間的解釈の意志にもよらずして、天上のヴィジョンにおいて汝に与えられた天分により言い書くがよい。……」(前掲書)。このへりくだった表現が彼女のヴィジョンに一層の聖性を付与する。
ヒルデガルトは1098年夏、裕福な領主ベルマースハイムのヒルデガルトと妻メヒティルデの10人の兄弟姉妹の末子として生まれた。
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『スキヴィアス』第1部第1章<光り輝くもの>の幻視内容はこうである。
「私は見た――なにか大きな、鉄色の山のようなものを見た。そのうえに栄光の輝きに目がくらむほど光まばゆいものが君臨していた。この君臨者の両肩からくすんだ影のように、幅も長さも驚異的な翼のようなものが生えていた。君臨者の前、山の麓のところに、全身びっしりと眼ばかりで覆われた人が立っていたが――それは、あまりにおびただしい眼の数のために人間らしい形姿の識別がつかないほどであった。この人の前にもう一人、子供の年頃の、くすんだ色の服を着て白い靴を履いた人がいた。山上にまします御方(神のこと)からその頭上に、いたいけな少女の顔も見えないくらいにあふれんばかりの光が注ぎ込まれていた。山上にまします御方からはまたおびただしい火花がパチパチはぜて、それが2人の形姿のまわりを柔和な熱を帯びてとび交った。山そのものには非常にたくさんの小窓があり、窓のなかには、あるいは蒼ざめ、あるいは白い、いくつもの人間の首があった」(前掲書)。
常人の想像も及ばぬ世界を彼女は見ている。その世界はアメーバや微生物のように姿を変えながら彼女の幻視力を高めていく。その奇怪さは《ヨハネ黙示録》の比ではない。
ヒルデガルトが天上の声を聴いたとき、驚きと恐ろしさのあまり身がこわばり、やがて寝ついてしまった。しかし、彼女の助手役であるリヒャルディスと彼女の師ともいうべきフォルマール修道士は、むしろ神の声に従って幻視を掻きとめるべきだと彼女を励ました。
だが、修道院長のクーノはこの幻視の図像と言葉を読んだときに仰天した。彼女の幻視の内容があまりにも悪魔的な異端臭に満ちていたからである。もし彼女が異端と認められれば修道院の存続は危機にひんする。
十字軍熱に浮かされた当時にあって、院長の焦燥は杞憂の域を超えていた。ヒルデガルト自身も身の潔白を証明すべき方法を模索していた。
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1146年末、ヒルデガルトは意を決してクレルヴォー修道院のベルナールに書簡を出した。
「敬愛する父ベルナール様。……私が問いを出しますので、どうかお聞き下さいませ。私は、私の精神に秘跡として現れたこの幻視にいたく悩んでおります。私はこれをけっして外部の肉の眼で見たのではありません。みじめな、女の身としてみじめ以上の存在である私は、つとに子供の時分から大いなる奇跡の事物をなにかと見ておりました。けれども神の御心が信ぜよとお教え下さらなければ、私の舌は断じてそれを口外しえなかったことでございましょう。やさしいお父様、……あなた様のふさわしからぬ婢女(はしため)たる私に、子どものときから生きていて一刻として不安でなかったことのない私に、お答えくださいませ」。
これに対し、文体の美しさゆえに「甘蜜博士」と讃えられた稀代の碩学は「そなたがこれを恩寵と見なし、へり下りと献身の愛の力をこめて対応なさるよう、お諫めいたしもすればお願いもいたします。そなたもぞんじておられるよう、《神は高ぶる物を拒ぎ、へり下る者に恩恵を与え給う》(ヤコブ書4)。いずれにせよ、すでに心のうちに教えが現存し、それがあらゆることどもに塗油せよと命じているのであれば、これ以上私どもにお教えしたりお諫め申したりすべき何がありましょう」(前掲書)と好意的な返事を寄こした。
さらにあろうことか、全キリスト教徒の頂点に立つ教皇エウゲニウス3世自身も、1147年から翌年にかけて、ディジボーデンベルグ修道院にほど近い大司教座のあるトリエルで開催された公会議に際し、同修道院へ調査団を派遣し、公会議の席上、自ら『スキヴィアス』を朗読した。のみならず教皇ヒルデガルトの幻視力を祝福し、囲碁も著作を書き続けるように促した。
異端の宣告を受けるのではないかと一時は死を覚悟したヒルデガルトではあったが、一転、『スキヴィアス』という稀代の奇書はかくして世に残ることになった。
そればかりではない。ヒルデガルトは自分は無知で塵芥(ちりあくた)にも値しないと言っているが、自然科学の分野で『自然学』や『病因と治療』『石の書』『魚の書』などの著作を残している。
永井修道院生活は彼女に観察と内省の時間を与え、多くの動植物を育てる中から経験的にこれらの博物学的知識をえたのであろう。また、近年とくに注目されるのは道徳劇《諸徳目の秩序》や夥しい宗教曲の作曲である。
やがて彼女の通称の由来となったライン川とナーエ川を挟んで対岸にビンゲンの町を望むルーペルツブルグに女子修道院を建て、1163年には神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(通称バルバロッサ=赤ひげ)から修道院長を任じられ保護を約束された。この女子修道院で修道女たちは80曲近くの彼女の聖歌を歌い、山深い孤立した修道院神の国の幻視を共有したことであろう。