じじぃの「科学・芸術_196_鉄の歴史」

history of steel 1/3 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7V-chPzlCFM
 鋏

137億年の物語 「日本は鉄砲大国だった!」 2014年7月19日 テレビ東京
【出演者】寺脇康文相内優香宮崎美子
ポルトガルリスボン軍事博物館には江戸時代に作られた日本製の火縄銃がある。
ポルトガル人が日本に鉄砲が伝えられた。
種子島時堯(ときたか)は鉄砲2丁を約1億円で購入。火薬の調合を家臣に学ばせた。
鉄砲づくりを学ぶためにポルトガル人に嫁いだ若狭から名づけられた船・プリンセスわかさが運行している。種子島の鉄浜海岸の砂鉄が、鉄砲作りに使用された。
種子島開発総合センターには、日本で製造された鉄砲など約100丁が展示されている。

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 ウィキペディアWikipedia)より
今のところ製鉄技術が普及し始めたのは紀元前25世紀頃のアナトリアと考えられているが、鉄の利用自体はそれよりも古い。
メソポタミアでは紀元前3300年から紀元前3000年頃のウルク遺跡から鉄片が見つかっている。また、エジプトのゲルゼーからも、ほぼ同時期の装飾品が見つかっている。これらの鉄器はニッケルの含有量から隕鉄製と考えられている。鉄利用の開始は更に有史以前に遡ると思われるが、詳細はわかっていない。カマン・カレホユック遺跡やアラジャホユック遺跡、紀元前20 - 18世紀頃のアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。

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『1000の発明・発見図鑑』 ロジャー・ブリッジマン/著、小口高、諸田昭夫、 鈴木良次/訳 丸善 2003年発行

4000年前ほど前、東南アジアで初めて鉄が発見されたとき、金よりも貴重なものと考えられた。
製鉄と加工の技術が進歩するにつれ、鉄の強さと曲げやすさがうまく利用されるようになった。前1200年頃には鉄器時代が始まり、今までになく急速に人類の近代化が進む。鉄を溶かすのは難しいため、初期には鋳造せずに叩いて成型していた。
鋼(スチール)
鉄が発見された後、偶然に鉄にわずかの炭素を含む鋼(はがね)がつくられた。鋼は純鉄よりもはるかに強い。
鉄をとるために鉄鉱石と混ぜて燃やす木炭から炭素が出て、できたのかもしれない。製鋼はいろいろな所で大体同じ頃に始まった。中国とインドでは前200年頃から本格的な製鉄業が始まった。鉄と木炭を熱して鉄に炭素を入れ、再び過熱してから、炭素が全体に混ざるまで金鋸で叩いた。
蹄鉄(ていてつ)
前2000年にはもう乗馬が始まっていたが、岩だらけの地面や道を走れるように馬の足を保護する方法が考えられたのは前150年頃だった。
馬とラバのはきものは、最初に馬を飼いならした東ヨーロッパでつくられた。初期のはきものはふつう皮製だった。ひずめに固定する金属製の蹄鉄は、450年頃、西ヨーロッパで使われ始めた。
鋏(はさみ)
鋏は、布、紙、毛製などの柔らかいものを切るのに適する。原理は前3000年に知られていたが、2枚の刃を中心軸でとめ合わせた現在の形はローマ人が100年前頃発明した。
16世紀に鋼が安価になるまでは、仕立屋や理髪師などの専門家が使う特殊な道具だった。
水力製鉄法
中世の鉄工所では、炉で鉄鉱石と木炭を熱してブルームという多孔質性の鉄の塊を製造していた。
温度の高い程、炉の働きが良くなるので火力を強くするためにふいごで空気を送った。鉄の需要が増えるにつれて炉が大きくなるとふいごを動かすのに人力よりも強い力が必要となった。後に世界最大の鉄生産国となるイギリスでは、ダラムの司教スカーローがこの問題に取り組んで、1408年に水力を利用した製鉄炉をつくった。
高品質の鋼鉄
大量生産の鋼鉄でもたいていの用途には間に合うが、もっと高品質なものが求められることもある。
イギリスの時計工、ハンツマンは、普通の鋼鉄では良質な腕時計用ゼンマイをつくれないことに気づき、1740年頃シェフィードで独自の鋼鉄をつくり始めた。彼は初めて鋼鉄を高温で溶解し、完全に均一な合金をつくった。このおかげでシェフィードは高品質の鋼鉄で有名になった。

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『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行
鉄砲を作ったのはどこの国? より
鉄砲のルーツは、8世紀末から9世紀初頭に唐で開発された。飛発という簡単な銃に遡ります。15世紀になると、これが火縄銃に進化しました。
鉄砲が日本に伝来したのは、1543年。中国船に乗ってきたポルトガルの商人が種子島に到着し、火縄銃2丁と製造技術を日本に伝えました。当時、鉄砲のことを「種子島」と呼んだりしたのは、このためです。

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『人間の歴史〈3〉』 M・イリーン、E・セガール/著、作袋一平/訳 岩波少年文庫 1986年発行
どうして富がきずかれたか より
むかしの工人は手まわしの旋盤、炭焼きかまど、水車をじまんにしていた。
15世紀の工人は。それにたいして、うけ口水車(くるまの外周にうけ口状のくぼみをたくさんつくり、うけ口に水がいっぱいになると、くるまをまわす)、足でうごかすつむぎぐるま、また溶鉱炉をみせることができるだろう。
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最初の溶鉱炉からは一直線の道が16ー17世紀の最初の製鉄所に通じている。
製鉄所のまんなかには人造の川が木のトイを流れていた。この川から両がわに支流が出て、水車のほうへ、巨大なかじ用フイゴとかじ用ハンマーのほうへ流れていった。
いや、その音のうるさいことといったら! でもこの最初の製鉄所は、もはやいままでの手工業者のささやかな仕事場とは、くらべものにならなかった。
溶鉱炉が発明されると、鉄はいっぺんにふえた。だが鉄はスキのためにも、大砲のためにも、いかりのためにも、オノのためにも、くるまの輻(や)と輪縁(わぶち)のためにも必要であった。
くさりの一つの環(わ)はつぎの環につながる。うけ口水車につづいて溶鉱炉があらわれた。溶鉱炉があらわれると、鉄がふえた。鉄がふえると、鉄の輻と鉄の輪縁をつけたくるまをつくるようになった。くるまは舗装された道が必要であった。そこで道づくりがはじまった。