じじぃの「科学・芸術_55_世界最初の高炉(イギリス)」

Iron Smelting, Charcoal, Coke, Limestone, DF 動画 Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=0ZuF-dUoC0w
The Blast Furnace
高炉 ウィキペディアWikipedia)より
高炉(blast furnace)は製鉄所の主要な設備で、鉄鉱石から銑鉄を取り出すための炉。鉄溶鉱炉と呼ばれることもある。大型のものでは高さ 100メートルを超え、製鉄所のシンボル的存在となっている。
現在知られている最も古い溶鉱炉は、中国の前漢時代(紀元前1世紀頃)のものとみられる。しかし、紀元前5世紀頃と見られる鋳鉄が中国で発見されており、それよりも古い溶鉱炉があった可能性がある。初期の溶鉱炉は、内壁が粘土で作られており、リンを含む鉱石を使用していたと見られる。西洋における最初の溶鉱炉は、スウェーデンで1150年から1350年の間に作られたらしい。この溶鉱炉が、独自の技術で作られたのか、モンゴルからもたらされた技術によって作られたのかははっきりしていない。
コークスを使う近代的な高炉が最初に作られたのは1709年で、エイブラハム・ダービーによって開発された。ヨーロッパの森林破壊によって木炭が減少し、そのために石炭が使われたのであるが、その結果製鉄のコストが大幅に下がることになった。しかし、高炉は産業界でもっとも多くCO2を排出する装置であり最近では木炭からコークスへの転換が逆に地球温暖化への歯止めを失ったという反省点も浮上している。

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『人間の歴史〈3〉』 M・イリーン、E・セガール/著、作袋一平/訳 岩波少年文庫 1986年発行
どうして富がきずかれたか (一部抜粋しています)
むかしの工人は手まわしの旋盤、炭焼きかまど、水車をじまんにしていた。
15世紀の工人は。それにたいして、うけ口水車(くるまの外周にうけ口状のくぼみをたくさんつくり、うけ口に水がいっぱいになると、くるまをまわす)、足でうごかすつむぎぐるま、また溶鉱炉をみせることができるだろう。
古代の工人は水をはたらかせた。川にくるまをしかけて、水の流れのいきおいでこれをまわさせた。ところが新しい工人は川をじぶんの仕事場へつれてきた。そのために木の道、つまりトイをこしらえた。川はダムでしきった。
水位があがると、水はトイをつたわって低いほうに流れ、上からくるまに落ちる。くるまはひとりでまわって、軸(シャフト)はかべをつらぬいて仕事場につき出ているから、そこでじぶんにまかされたどんな仕事でもする。ぼろをおかゆ状にして入れたわくをゆすって、紙をつくり、かまどの火を吹き、かじ屋の大ハンマーをもちあげる。
こうして紙をすく粉場があらわれ、織物をさらす粉場があらわれた。粉場とはいっても、ここではもう粉はひかない。だがよくあるように、新しいものを古いことばのままで呼んでいるのだ。イギリスではいまなおいろいろな工場をミル(粉場)といっている。コットンミル(ぼうせき工場)、ペーパーミル(製紙工場)というように。
うけ口水車は、鉱石から鉄を精錬するという古い宿題を、新しいやりかたで解決する、その口火をきった。
むかしの人は低いかまどに入れて鉱石から鉄をとっていた。まず鉱石と木炭をしこむ。フイゴを手でおしてなかに空気を吹きこむ。だがこういうかまどでは高い熱がでない。鉄はとけきらないで、とけ合わさるだけだ。できあがったものは、スラッグ(かなくそ)とまじり合った海綿状の鉄である。
かじ屋はかまどではできなかったことを、ハンマーでしあげなければならなかった。
しかもそういうはんぱなかまどでは、たくさんの鉄はとれなかった。
かまどをすこし高くあげてみた。すると空気がたりなくなった。手おしフイゴでは、必要とするだけの空気をそれに吹きこむことができなかった。
ここに新しいうけ口水車が登場する。それは力のいるかじ屋のフイゴおしをひきうけた。こんどはじゅうぶんにかまどに空気がはいった、かまどの熱はあがった。鉄は精錬された。なかに木炭がとけこんで、銑鉄ができた。
火と水はいつも敵どうしであるのに、ここではいっしょになってはたらいた。水は火をおこしはじめた。
いつものねばっこい鉄のかわりに、液体状のまっかな銑鉄の流れをはじめてみたとき、工人たちは鉱石がまる損になってしまったとおもって、がっかりした。
液体の鉄! こんな妙なものはみたこともない。
せっかく宝物を発見したのに、かれらにはなかなかそれがわからなかった。わからなくても、宝物は宝物だ。それは型に流しこむことができる。かじ屋のハンマーだけではどうしてもできないような、ありとあらゆる細工品を、型に流してつくることができる。
こうしてうけ口水車のおかげで、炭焼きかまどは溶鉱炉になった。
最初の溶鉱炉からは一直線の道が16ー17世紀の最初の製鉄所に通じている。
製鉄所のまんなかには人造の川が木のトイを流れていた。この川から両がわに支流が出て、水車のほうへ、巨大なかじ用フイゴとかじ用ハンマーのほうへ流れていった。
いや、その音のうるさいことといったら! でもこの最初の製鉄所は、もはやいままでの手工業者のささやかな仕事場とは、くらべものにならなかった。
溶鉱炉が発明されると、鉄はいっぺんにふえた。だが鉄はスキのためにも、大砲のためにも、いかりのためにも、オノのためにも、くるまの輻(や)と輪縁(わぶち)のためにも必要であった。
くさりの一つの環(わ)はつぎの環につながる。うけ口水車につづいて溶鉱炉があらわれた。溶鉱炉があらわれると、鉄がふえた。鉄がふえると、鉄の輻と鉄の輪縁をつけたくるまをつくるようになった。くるまは舗装された道が必要であった。そこで道づくりがはじまった。