じじぃの「科学・芸術_12_織物業とイギリス」

The flying shuttle -History Video.wmv 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PCpYJ7iiS40
ジョン・ケイが発明した自動織機の飛び杼

ジョン・ケイ (飛び杼) ウィキペディアWikipedia)より
ジョン・ケイ(John Kay, 1704年6月17日 - 1780年)は、イギリスの発明家。飛び杼(とびひ)を発明したことで知られる。その発明は産業革命に大いに貢献した。ジョン・ケイの名は同名の有名人が数多いためしばしば混同されることがあり、特にランカシャーで紡績機を発明したジョン・ケイと混同されやすい。

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『この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた』 ルイス・ダートネル/著、東郷えりか/訳 河出書房 2015年発行
最大の発明 (一部抜粋しています)
中国はとりわけ興味深い典型例となっている。何世紀ものあいだ、中国文明は技術的に世界のどの国よりもはるかに優れていた。中国は近代の馬の首輪や手押し車、神、木版印刷羅針盤、火薬を発明した。どれも本書で見てきた世界を変えた発明だ。中国の繊維製造業者は、1つの動力源で複数台の紡績機を動かして糸をつくり、機械式の綿織機と高度な織機を操作していた。中国では石炭が採掘され、これをコークスに返還する方法を発見して、大きな縦型水車やトリップハンマーを利用し、高炉を使って銑鉄をつくり、それを精錬して錬鉄にすることに関してはヨーロッパより1500年は先駆けていた。14世紀末には中国は、ヨーロッパでは1700年代になるまでどこにも見られなかったような技術的進歩を遂げており、独自の産業革命を始める準備が整っているかに見えた。
だが、意外なことに、ヨーロッパが長い暗黒時代を抜けだしてルネサンス時代に入ろうというところに、中国の進歩は揺らぎ、やがては止まってしまった。中国の経済はおおむね国内の通商によって成長しつづけたし、増えつづける人口は恒常的に高い水準を享受していた。しかし、重要な技術の進歩はそれ以上には起こらず、むしろ一部の新技術はのちに忘れられていった。それから3世紀半後にはヨーロッパが追いつき、イギリスは産業革命に突入した。
では、14世紀の中国ではなく、それどころか18世紀ヨーロッパのほかのどんな国々でもなく当時のイギリスに、何がこの変革をもたらすプロセスを促進させたのだろうか? なぜそこで、なぜその時代だったのか?
産業革命は、繊維製品の生産効率を上げた――紡績と機織りを機械化し、従来は小規模な家内制の活動であったものを、集中管理された大きな工場内に移動した――ほか、製鉄および蒸気動力も進歩させた。そして、産業化はいったん進み始めると、そのプロセスが独自に動きだし、変革は加速した。石炭火力の蒸気機関による炭鉱の排水ポンプは、さらに多くの石炭を採掘させ、それが高炉の燃料となってさらに多くの鉄や鋼鉄が生産され、今度はそれがさらに多くの蒸気機関やほかの機械を製造するのに使われたのである。