じじぃの「科学・芸術_190_パリの移民街・排斥政策」

Charles Aznavour La Boheme 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A314PVRSQIM
Serge Gainsbourg je suis venu te dire 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=--BTGqJmhow
パリ 移民街

パリの移民街 研究旅行
移民街はパリの東側、中心部から少し離れた所に広がっている。ユダヤ系、アラブ系、アフリカ系、インド系、パキスタン系、アジア系の移民が様々な地区で生活している。さらに、これらすべての文化が集まっているのが20区である。今回はそれぞれの移民が多く集まる地区と20区へ行って調べた。
http://www.seinan-gu.ac.jp/gp/french_trip/2012/2635/
『パリ・フランスを知るための44章』 梅本洋一大里俊晴、木下長宏/著 赤石書店 2012年発行
移民街 排斥政策が進む中で (一部抜粋しています)
1999年秋、久しぶりに訪れたパリで、アラム・セデフィアンの新譜『セ・モマン・ラ』を見つけたときは驚愕した。
「君はここで生まれた。でも、君の記憶は他のところからやってくる。アルメニアの一角から」と歌われる1曲目から、限りなく深く、優しい声が呼び覚ます、言いようのないメランコリックな世界。ここで2人称で語りかけられているのは彼自身だ。アルメニア移民の子として生まれ、パリの郊外で育った貧しいひとりの男の子が、売れない歌手になってアルバムを出すが、いつかひっそりと消えていき、ほとんど20年近い空白の後、ふたたびアルバムを吹き込む。その1曲目がこれだ。曲の最後、アルメニアの地名だけを淡々と歌い上げるところで、不覚にもこみ上げてくるものを感じてしまった。こおには、コード進行も、メロディーも、ワールド・ミュージック敵と呼ばれるだろうようなものは何もない。普通のフランス語の歌である。仮に彼が、アルジェリアからの移民の子だったら、ライという表現手段があったろう。祖国を知らないフォーデルがライの天才少年ともてはやされるのと同じような事態が起こっているのかもしれない。だが、アラム・セデフィアンは、彼の心にある、まだ見ぬ祖国アルメニアを歌うのに、西欧的手段しか持っていなかった。エキゾティシズムが完璧に欠如しているゆえに、このアルバムがパリ発ワールド。ミュージックとしてアメリカや日本で注目されることは決してないだろう。だけど、エキゾチシズムもなく、何ひとつ政治的な主張をするでもない、この後ろ向きでノスタルジックな声、これこそがフランスの歌、まさに移民の国としてのフランスの歌ではないか。シャルル・アズナヴールアルメニア移民だったし、あのセルジュ・ゲンズブールユダヤ系ロシア移民だった。だが、誰もアズナヴールやゲンズブールをフランスの歌手とみなすのには異存はないだるし、そこにあえてワールド・ミュージック的な名に蚊を期待しないだろう。音楽性と出目に必然的な関係はないし、いわんや、”純粋にフランス的な血”など幻想にすぎない。そんなことは誰でも知っている。
にもかかわらず、特に近年、フランスは移民への排斥態度を強めているように見える。右翼の国民戦線党の着実な台頭。パリ北部のバルベス地区再開発という名の、郊外への移民の囲い込み、移民に不利な新たな法律の制定、たとえば、1993年に施行された新国籍法を見てみよう。かつては外国籍の夫婦の子であっても、フランスで生まれた子どもは自動的にフランス国籍を与えられたが、現行の国籍法ではそれが認められず、国の社会保障も受けることができない。彼らは16歳になって初めて、本人の申請によってフランス国籍を与えられるのだ。
この動きと連動するかのように、96年2月、ラジオは、オンエアする音楽の中で、自国語によるものを月に最低40パーセントの割合でプログラムせねばならないとした法律が施行された。これは音楽産業の利権がからむ問題であり、必ずしも国粋主義的な動機に基づいて制定された法律とはいえないにしても、フランス語の言語としての優位を信じて疑わないフランス人のメンタリティが、ここに関わっていることは間違いない。なぜなら、フランス語アイデンティティを保証するのは、何をおいてもまず言語、由緒正しきフランス語であるからだ。フランスが、どれだけ純粋なフランス語の表現を保護するのに心血を注いているか、それは恐ろしいほどである。わざわざアカデミーの大家の手をわずらあせながら、チューインガムやウォークマンにあたるフランス語を創造し、大衆に推賞する。もちろん、そんな言葉、街の若者は誰ひとり使わないのだが。
ただひとつの言語、フランス語、僕の記憶は、初めてフランスに来て、13区の中華街で、通りすがりに幼稚園の庭をのぞいたときに還っていく。そこでは、城、黒、黄色の肌を持った子どもたちが、ただひとつの言語、フランス語で歓声をあげながら、楽しげに走り回っていた。むろん、それは純粋でも高尚でもない。生きた口語としてのフランス語である。素朴なもの言いを許してもらいたい。僕は、本当にここに人類の未来がある、と思ったのだった。この子たちが大人になったとき、もはやどのような人種差別も意味をなさないだろう……。もちろん、それはただの思い込みにすぎなかったのだが。