じじぃの「人の生きざま_745_ペギー葉山(歌手)」

ペギー葉山 学生時代 with 混成合唱団 1993 / 爪 1988 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2t9c3YkKmr4
ペギー葉山 南国土佐を後にして 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=6BZDJAqisZo
ペギー葉山

ペギー葉山さん肺炎にて死去!!ウルトラの母には自閉症の一人息子がいる!? 2017/04/12 トレダ
本名 ---森 繁子(もり しげこ)
旧姓 ---小鷹狩(こたかり)
生誕 ---1933年12月9日
死没 ---2017年4月12日(満83歳没)
出身地---東京都新宿区
学歴 ---青山学院女子高等部(現・青山学院高等部
ジャンル---ジャズ/歌謡曲/職業/歌手/タレント
担当楽器---歌
活動期間---1952年 - 2017年
レーベル---キングレコード
ペギー葉山さんは1965年に「帰ってきたウルトラマン」の防衛チーム・MATの隊長役を演じた俳優の根上淳さんと結婚されました。
その後、夫の根上淳さんは1998年に糖尿病の合併症の脳梗塞で倒れて芸能界を休止されましたが、2000年には腎不全にて人工透析になり、入退院を繰り返すようになりました。
2005年に亡くなるまでに、ペギー葉山さんが自宅にて介護をしたそうです。
ペギー葉山さんには「陶芸家」の一人息子がおり、現在49歳になっているという事です。
http://omosirog.com/blog/pigihayama_ziheishou
夕刊フジ 2017年5月12日号
心動かされたペギー葉山さんの”生涯現役” より
4月12日に83歳で亡くなったペギー葉山さんの追悼番組が23日、大坂のラジオで放送された。今年3月に関西で行われた公開録音の様子も盛り込まれた。
舞台上で曲紹介をするペギーさんの滑舌は、お世辞にもいいとは言えない。それは久しぶりに自宅でつけたラジオデッキのせいではないだろう。
何度か取材する機会に恵まれたがここ数年は、少しずつ、ほんの少しずつだがお年を召されたなぁというような話し方になっていた。
しかし、その曲紹介の後歌った「おもいでの岬」(弦哲也作詞作曲)を聞いて驚いた。声の響きの若々しさ、滑舌の良さ。昔一緒に過ごした人との楽しかった思い出を、さわやかに歌い上げていた。亡くなる直前の4月上旬にも舞台に立っていたというから、まさに生涯現役だったのだ。
思い返せば、普段のしゃべり方にも、気をつけていたと思う。声を張ることはなく、少し頭声を交えたような喉を大切にした話し方。それでいて、よく通る声だった。
「ドレミの歌」の日本語詞をつけたことでもよく知られている。
ブロードウェーで見た「サウンド・オブ・ミュージック」に感動して、その中の曲の一つ「ドレミの歌」を日本にも伝えたいと思い立ち、子供の好きな言葉を並べてあの「ドはドーナツのド、レはレモンのレ…」の歌詞が生まれたという。
第二次世界大戦中、ドイツによるオーストリア併合下の家族の絆を描いた「サウンド・オブ・ミュージック」はミュージカルの傑作の一つだ。
ドレミの歌のほかにも、小学生の教科書にも載っている「エーデルワイス」やJR東海の京都観光キャンペーンの曲としても知られる「私のお気に入り」など、作品を知らなくても耳にしたことのある曲は多いだろう。
その中の一つ、「すべての山に登れ」は、主人公のマリアが困難に立ち向かうとき、修道院長がマリアを励ますときに歌う曲で、「すべての山に登れ すべての流れを渡り すべての虹を追いかけなさい 夢をみつけるまで」と語りかける。
晩年、「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台で、ペギーさんはこの修道院長役を務めた。
かつて、快活にドレミの歌を歌った人が、今は年長の包容力ある女性として示唆に富んだ歌を荘厳に歌いあげる姿を見て、私は歌い続けること、舞台に立ち続けることで得られる崇高さのようなものを感じた。
すべての山を登り、すべての流れを渡って、夢をみつけたペギーさんだからこそ、歌える歌がそこにあった。
ラジオを聞いて一夜明け、通勤途中に見上げたビルの合間の空は雲一つない青空だった。なんだか、ペギーさんの明るい歌声が響いてきそうな青空だった。