じじぃの「日本の流行歌・高齢者が好きな歌は高原列車は行く?話のネタ」

青い山脈 (1949) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bAKmKJxtWZg
高原列車は行く 岡本敦郎 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KTE6aJc7L84
涙の連絡船(第16回紅白歌合戦 1965年)都はるみ 動画 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x2ekt9l
高齢者が好きな歌 (koureisya.jp HPより)

「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」 2017年12月18日 テレビ東京
【レギュラー出演】ユースケ・サンタマリア新井恵理那
●日本では無名なのにナゼか現地で超有名な日本人!
イギリスで有名になったハリス裕子さんが有名になったきっかけは演歌。
5万人のイベントもひとつに。彼女は望月あかりという芸名でCDまで出している。愛称はモッチー。日本の演歌はイギリス人の心にも刺さっている。そんな彼女が歌う演歌を応援していたのが2番めの兄の拓也さんだったという。彼女はのど自慢あらしだった。
なぜか、彼女が「津軽海峡・冬景色」「天城越え」などを歌うと、日本語も分からないのに熱狂するイギリスの人々。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nazesoko/backnumber/171218.html
高齢者が好きな歌、聞きたい歌を聞いてみました。 2017年11月5日 高齢者の介護とレクリエーション
高齢者施設で一番人気のレクリエーションといえばきっと「カラオケ」だと思います。
歌声に自信がおありの方は、聴かせる曲を好まれる様で往年の有名歌手の曲を選ばれます。
反対に、少し自信が無さげの様子の方はみなさんで歌う曲を選ばれます。
当施設の一番人気は「高原列車は行く」ですね。
明るい曲調で、みなさん朗らかな顔になります。
https://koureisya.jp/archives/770
『話のネタ―会話がはずむ教養読本』 毎日新聞社/著 PHP文庫 1998年発行
日本で初めての流行歌はなに? より
近代的な流行歌第1号は「宮さん 宮さん」である。慶應4年(明治元年・1868)3月に薩長土肥の官軍が錦の御旗を押し立てて、東海・東山両道から江戸に向かって進撃する道々うたったもの。したがって日本の「アルセイエーズ」ともいえるわけで、軍歌の第1号でもある。
現代の流行歌第1号は、大正3年島村抱月の芸術座が帝劇で上演した『復活』の劇中歌「カチューシャの唄」だ。松井須磨子が舞台でうたって大ヒット、翌年レコードに吹き込んだ。ともかく流行歌が初めてステージでうたわれた記念すべきもので、女優松井須磨子はまた”流行歌手”第1号でもある。
流行歌のスタンダード・ナンバーとして、現在も広く演奏され、うたわれている「船頭小唄」は大正10年ごろからはやったが、歌の大ヒットに目をつけた松竹が、当時新人女優の栗島すみ子で映画化し、たった4日間でとりあげたが、映画も大ヒットし”小唄映画”と呼ばれる流行歌の映画化第1号となった。これにつづいて作られた「籠の鳥」も同じケース。
大正時代のレコード会社は中小企業だったが、昭和の初めに、外国の大資本による近代的なレコード会社、ビクター、コロンビア、ポリドールが発足した。それまで演歌師によって広められた流行歌は、こうしたレコード会社の企画によって生まれるようになったが、その企画流行歌のヒツト第1号が昭和3年暮れに発表された「君恋し」である。つづいて翌昭和4年5月に発表された「東京行進曲」は、映画主題歌の第1号となっだ。これは雑誌『キング』に連載された菊池寛の小説を日活が入江たか子で映画化したとき、ビクダーとタイアップして作ったもの。
このほか、甘ったるい”ネエ小唄”のトップは「愛して頂戴」(昭和4)”股旅もの”の元祖は「沓掛時次郎」で、長谷川伸の原作を日活が大河内伝次郎で映画化したときの主題歌。原作者自ら作詞し、長谷川伸の唯一の流行歌として珍しいものだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
日本で初めての流行歌はなあに?
「宮さん 宮さん」という曲だそうです。タイトルからは軍歌・行進曲とは思えません。
戦後、一番歌われた流行歌はなあに?
じじぃの世代は「青い山脈」でした。