じじぃの「人の生きざま_301_藤・圭子」

藤圭子さん 元夫・照實氏と実兄の間で納骨先をめぐる争い 2013.09.05 NEWSポストセブン
8月22日の早朝、東京・新宿の高層マンションの13階から飛び降り、自ら命を絶った藤圭子さん(享年62)。今、その死を巡って新たな骨肉の争いが起こっている。
http://www.news-postseven.com/archives/20130905_209758.html
藤圭子 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90/8609
新宿の女-藤圭子 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=f9QsJo-j17c
藤圭子さん追悼!夢は夜開く 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ndCcpc33xVw
藤圭子 ウィキペディアWikipedia)より
藤圭子(1951年7月5日 - 2013年8月22日)は、日本の演歌歌手。本名、宇多田純子。
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち。1960年代終わりから1970年代初めにかけて一世を風靡する。夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な歌(『怨歌』)を、伸びやかかつ深々と歌い上げた。
前夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘は音楽家宇多田ヒカル。元夫は演歌歌手の前川清
【来歴】
幼い頃から浪曲歌手の父・阿部壮、三味線瞽女の母・竹山澄子の門付に同行。旅回りの生活を送り、自らも歌った。勉強好きで成績優秀だったが、貧しい生活を支えるために、高校進学を断念。17歳の時に『さっぽろ雪まつり』のステージで歌う姿がレコード会社の関係者の目に留まり、上京。約1年間林家三平宅に下宿する。1969年9月25日、RCAレコードより「新宿の女」でデビュー。
2013年8月22日午前7時頃、東京都新宿区のマンションの前で倒れているのが発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。遺書など見つかっていないが、衣服の乱れや争ったような跡がないことなどから、新宿警察署は飛び降り自殺を図ったと断定された。喪主の宇多田ヒカルの判断で生前の遺言書を尊重する形で葬儀は行われず、宇多田父子ら親族、関係者の5、6人のみが火葬に立ち会う直葬が行われた。

                                        • -

文藝春秋 2013年10月号
蓋棺録 「藤圭子(ふじけいこ)」 (一部抜粋しています)
歌手・藤圭子(本名・阿部純子)は、経済成長を謳歌する日本の「陰」を歌って、人々の鮮烈な印象を残した。
1969(昭和44)年、『新宿の女』でデビューし、『圭子の夢は夜ひらく』が大ヒットする。ハスキーがかった18歳の少女の声はあくまで暗く、作家・五木寛之は「正真正銘の怨歌」と評した。
51年、岩手県一関市に生まれる。父は浪曲師で、盲目の母は三味線を弾いた。家族で北海道や東北を巡業したが、小学5年生のころから、舞台で歌うとおひねりが飛んだ。
上京して浅草や錦糸町で流していたが、作詞家・澤ノ井龍二の世話でデビューする。
     ・
70年にはシングルチャートが3曲で18週連続1位、アルバムチャートでは3作で42週連続1位という空前の記録を打ち立てる。
しかし、両親はデビュー後に離婚。71年に内山田洋とクール・ファイブのボーカル前川清と結婚するが1年で離婚してしまう。その後、ヒットがないまま、79年には芸能界を引退して渡米した。
再び注目されたのは、2回目の結婚でもうけた娘・ヒカルが、15歳でデビューして「天才少女」ともてはやされたときだった。実は、幼い時からヒカルの才能には気がつき、娘のデビューのために、資金と売り込みの苦労を惜しまなかったといわれる。
しかし、この母娘の運命も平穏とはいえなかった。ヒカルの父・宇多田照實とは、7回も結婚と離婚を繰り返した。6回目の離婚をしたころ、娘のヒカルも離婚し、その後、芸能活動を休止したので「母親譲り」などと書かれた。
最近は家族との交渉もほとんどなかったという。

                                        • -

藤圭子 Google 検索
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90&sa=N&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=ojtBUo31F8GMkAXt1oD4CA&ved=0CCoQsAQ4Cg&biw=1044&bih=569&dpr=1