じじぃの「人の生きざま_573_宇多田・ヒカル(歌手)」

宇多田ヒカル - Automatic 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=L_QVB4Qdh6o
宇多田ヒカル - time will tell (日本語ver.) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QPMRawP8ItM
宇多田ヒカル ウィキペディアWikipedia)より
宇多田 ヒカル(うただ ヒカル、1983年1月19日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。本名、宇多田 光(うただ ひかる)。愛称はヒッキー(Hikki)。
ニューヨーク州出身で、デビュー当時はアメリカと日本の二重国籍だったとされるが、自身は生粋の日本人と公言している。
2000年頃の日本のR&Bブームに大きな影響を与えた。日本の音楽史上、最多の売り上げを記録した『First Love』を筆頭に、オリジナルアルバム歴代売上の上位トップ2を独占している。

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文藝春秋 2016年1月号
日本を変えた平成51大事件 宇多田ヒカルデビュー 生意気だった15歳の天才 【執筆者】松尾潔(音楽プロデューサー) (一部抜粋しています)
『Automatic』の歌い出しは、「7回目のベルで」が「な、なかいのベ、ルで」という独特の”字切り”になっています。このこなれていない、拙い感じは、プロとしては気になる。僕がディレクターなら修正しただろうと思いました。そこであるとき、少し皮肉を込めて彼女にそのことを聞いたんです。
「この部分って、よく直されなかったね」。すると彼女は、すぐにこう言い返してきたんです。
「作曲家の権利があるだろう!」
その生意気で、こまっしゃくれた回答、男の子っぽい言い回しに思わず笑ってしまいました。15歳とは思えない意識の高さもすごかった。やることなすこと、気が利いていて、誰もがその魅力に引き込まれていく。あの頃は、まるで宇多田ヒカルを中心に世界が回っているかのようでした。
僕が最初に彼女の歌声に触れたのは、デビューの数ヵ月前です。当時の東芝EMIのプロデューサーから「ちょっと聞いてみて」と渡されたのは、後に『Automatic』のカップリングとなる『time will tell』という曲でした。僕は、その曲を聞いた瞬間に驚きました。日本人の声なのに、R&B、黒人音楽、洋楽っぽい雰囲気を色濃く持っている。それまでも黒人っぽく歌うシンガーは、日本にもたくさんいました。でも彼女の歌から感じたのは、それを学んで身につけたのではなく、ネイティブとして生まれつき肉体に備わっているということでした。
「誰なんですか? 本当に日本人ですか? どんな顔をしているんですか」
たった1曲で僕は、彼女に魅了され、その後オフィシャルライター業務を中心としたブレーンのひとりとしてプロジェクトチームに参加することになりました。彼女がまだ15歳であること、そして藤圭子さんの娘であることは、あとから知らされ、ふたたび驚きました。
2年前、沢木耕太郎さんが書いた若き日の藤圭子さんのノンフィクション『流星ひとつ』を読んだらおきゃんでイキイキとしていて、そして紛れもない天才だった藤さんが描かれていました。それは、まさにデビュー当時の宇多田ヒカルと重なります。彼女に圧倒的な才能があったのは言うまでもありません。でもあそこまで大ヒットしたのは、彼女が藤圭子の娘だったからという理由もあるでしょう。芸能界において、血は大きなファクターです。彼女は戦後有数の大スター、藤圭子の娘であったからこそ、”日本国民の娘”になりえたのです。
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僕は、すぐれたポップミュージックとは、失恋の歌でも悲しいバラードでも、聞いたあとに、「明日からがんばろう」と思えるものだと考えています。歌で美しい心を表現し、生きることを肯定できるのは、誰もができることではありません。その才能を間違いなく彼女は持っていたし、いまももちろん持っているでしょう。天才の大噴火の瞬間に立ち会えたのは、素晴らしい体験でした。