じじぃの「神話伝説_102_賛美歌(聖歌)」

The song of moses 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QTIYzSdjC5k
G. F. ヘンデル:オラトリオ「メサイア」より ハレルヤコーラス 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=o9W6yk49W8k
有名な讃美歌・聖歌・クリスチャンソング
http://www.worldfolksong.com/hymn/
『眠れないほどおもしろい「聖書」の謎』 並木伸一郎/著 王様文庫 2011年発行
ドレミの音階は「洗礼者ヨハネ」を称えた歌から生まれた (一部抜粋しています)
「ドレミファソラシドの音階は『聖歌(賛美歌)』から生まれたって知っていますか?」
と、知人に聞かれたことがある。
キリストに洗礼を授けた洗礼者ヨハネを歌った歌曲の句節の、先頭の音をとったものだそうで、歌詞を記すと、
「Ut queant laxis
 Resonare fibris
 Mira gestorum
 Famuli tuorum
 Solve polluti
 Labii reatum
 Sancte Johannes」
(汝のしもべが、弦をかきなでて、汝の妙なるわざをたたえ得るように、このけがれある唇の罪をのぞかせたまえ、聖ヨハネよ)
句節の頭の部分をとると、ちょうど「Ut Re Mi Fa So La」となるのだそうだ。
「Ut(ユト)がどうして Do(ド)になったのか、詳しくはしらないが、フランスでは今でも Doを Utと使うこともある」
とも、聞かされた。
この曲の作曲者はフランス生まれのイタリアの宣教師、グレド・ダレッツォ(995〜1050年)。
歌詞はカトリック教会で「洗礼者ヨハネの祭」の際に歌われていた「聖ヨハネ賛歌」の歌詞の「1番」だという。現在使われている平均律の「ドレミ」の音階とは多少異なるようだが、時代背景をみても、西洋音楽の出発点となったことは間違いない。
世界各国、祈りと音楽は切っても切れない関係にある。それにしてもキリスト教徒はよく演奏し、よく歌う。
キリスト教とは無縁の私ですら、『きよしこの夜』『もろびとこぞりて』などのクリスマス・キャロルをはじめ、結婚式などで歌われる『アメージング・グレース』『慈しき深き』といった賛美歌など、耳に馴染みがあるほどだ。
プロテスタントの友人に聞くと、ヨーロッパのことわざに、
「よく歌う人は、倍祈る」
という言葉があるのだそうだ。
古代キリスト教の聖人、聖アウグスティヌスも「歌うのは愛している証拠」と述べているが、彼らは歌うことこそ美徳だとみなしてきたようだ。
調べてみると、旧約聖書の時代から、彼らは神々との対話に「歌」を利用してきたことが垣間見れる。
旧約聖書で1番はじめに歌が登場するのは、「出エジプト記」である。この15章に、モーセイスラエルの民が歌をうたったとされる記述が見られる。1〜2節を抜粋すると、
モーセイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。 主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。 この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる」
さらに、「申命記」32章には『モーセの歌』と題される死を前にしたモーセの歌が登場する。モーセが亡くなった後も、未来の世代が神を見失わないようにと作られたもので、歌詞の中には、神がどのようにエジプトから彼らを導いたかという過程、また律法を厳守するようにとの戒めなどが記されている。
多くの詩歌は、「知恵文庫」と呼ばれる書物群の中の「詩編」に収録されている。いずれの歌も、神に賛辞を述べたものかと思いきや、中身は嘆きの詩で埋め尽くされているのが興味深い。
これは旧約聖書ならではのもので、「嘆き」には、神の介入を祈る気持ちがあり、神の介入は、確信しているからこそ生まれるものだとしているからだ。彼ら二とって「嘆き」は決して愚痴なのではなく、れっきとした祈りなのだ。
ちなみに、この嘆きの詩編ギリシャ語で、「キリエ・エレイソン(主よ憐わみ給え)」と称される。
「キリエ・エレイソン」は、キリスト教の礼拝における重要な祈りの1つとなっている。一方で、賛美の詩編は「ハレルヤ(主をほめたたえよ)」という。
ところでこれらの楽曲だが、キリスト教が広まるにつれ、地域性を取り入れながら発展していったようだ。