教材 産業革命 その3 ケイの飛びひからミュール紡績機 動画 YouTube
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自動織機の飛び杼
フン族
『話のネタ―会話がはずむ教養読本』 毎日新聞社/著 PHP文庫 1998年発行
歴史を変えた「あぶみ」の発明 より
イギリスの古い童謡に、「釘が抜けて くつわが落ちて 馬が傷んで 騎士が倒れて 戦争が負けて 王国が滅んだ」というのがある。釘についてはなんとも言えないが、あぶみの出現はたしかに1つの帝国を滅ぼした。その帝国はローマである。
なるほど、ギリシャにもローマにもゲルマンにさえ騎兵隊はあった。馬は歩兵より早く前進、後進ができる。だが、あぶみがない。騎兵は手綱を放せない。せいぜいが片手しか使えないし、それすら急に馬首を回すと、鞍から放り出されてしまう。だから、戦闘の主役はどこまでも歩兵で、整然と密集隊列を組んだギリシャのファランクス、それにもましてローマのレギオンは天下無敵だった。
ところで4世紀半ば、東ヨーロッパの地平線上にフン族が現れた。万里の長城で中国から締め出された匈奴が、500年後二ユーラシア大陸を横切って、西方を襲ったのだ、ともいう。まずフンの矢面に立たされたのが、旧東ドイツからウクライナに広がる東ゴート王国だった。フン族は全員が騎兵で、あぶみをつけていた。
鞍から吊るしただけの小さな鉄輪の一対にすぎないが、これに両足を突っ込んでふん張ると、騎手は安定して、落馬の恐れがない。鈍重なゴートの歩兵戦列に向けて、馬上から両手を使って、矢継ぎ早に射かける。槍の届きそうになる寸前、さっと馬を返す、と見る間もなく、もう1回転して、再び襲いかかって来る……たちまちにして東ゴート王国は壊滅した。
だが、敗戦と被征服の間に、ゴート族もあぶみの使用を学んだ。そこで、ローマ帝国領内に入り込んで来る。
ゴート族など眼中になかったローマのレギオンは、気がついたときはもう完全に粉砕され、皇帝は戦死していた。
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『人類の歴史を変えた8つのできごとII――民主主義・報道機関・産業革命・原子爆弾編』 眞淳平/著 岩波ジュニア新書 2012年発行
ジョン・ケイの「飛び杼(とびひ)」 より
産業革命が始まる前、18世紀初頭のイギリス。
そこでは、多くの人々が綿の布、つまり綿布を求めるようになっていました。
これはその前の17世紀に、イギリスが世界の生みを支配するようになり、インドから安く高品質の綿布が輸入されるようになったこと、が背景にあります。当時、イギリスではインド産の綿布でつくられる織物が大流行していました。
これに対して、イギリスの伝統産業である羊毛関連の業者たちが、反対運動を起こしたのです。政治家たちも、そうした運動を無視できず、議会は綿の輸入を禁止しました。
これによって18世紀前半のイギリスでは、手に入りづらくなった高品質の綿布を買いたい、という要求が人々の間に生まれていたのです。
この状況の中で、最初に発明をおこなったのが、ジョン・ケイという職人でした。
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杼(ひ)が、布の横の端まで移動したときには、その杼を逆の端に戻さなければならなかったのです。そのための幅の広い布を織ろうとすれば、織布の職人とは別に、杼を戻すための労働者が必要とされていました。ケイはこれを、改善可能なことだと感じたのです。
そこでケイが考え出したのが、人の代わりに、杼を逆の端まで戻すための「飛び杼」と呼ばれる装置でした。これによって、幅が以前の倍以上の綿布を、以前の何倍もの速さで織ることが可能になったのです。飛び杼の発明は、1733年頃のことだとされています。
しかしケイは、自分の発明の対価を充分に受け取ることはできませんでした。織布の効率が上がったことで、自分たちの仕事を奪われると思った職人たちが、彼の家に侵入するなどの過激な行動に出たのです。危険を感じたケイは、フランスへと逃げ出しました。
ケイの行動は、「飛び杼」という装置を考案し、それを織機に据えつけるようにしただけにすぎません。しかしこれこそが、旧態依然たる織物産業で起きた最初の「革命」だったのです。ケイが、人々に追われ、母国を捨てざるを得なかったことを見れば、社会に対するその衝撃の大きさがわかるでしょう。
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どうでもいい、じじぃの日記。
ローマ帝国滅亡の原因は、ゲルマン民族の騎乗中の「あぶみ」にあったんですねえ。
イギリスの産業革命は蒸気機関の発明から始まったのではなくて、ジョン・ケイの「飛び杼」の発明から始まったんですねえ。