じじぃの「人の死にざま_1506_ジョン・ケイ (飛び杼)」

The flying shuttle -History Video.wmv 動画 YouTube
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fly shuttle weaving 動画 YouTube
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John Kay, English inventor

ジョン・ケイが発明した自動織機の飛び杼

ジョン・ケイ (飛び杼) ウィキペディアWikipedia)より
ジョン・ケイ(John Kay, 1704年6月17日 - 1780年)は、イギリスの発明家。飛び杼(とびひ)を発明したことで知られる。その発明は産業革命に大いに貢献した。ジョン・ケイの名は同名の有名人が数多いためしばしば混同されることがあり、特にランカシャーで紡績機を発明したジョン・ケイと混同されやすい。

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『人類の歴史を変えた8つのできごとII――民主主義・報道機関・産業革命原子爆弾編』 眞淳平/著 岩波ジュニア新書 2012年発行
ジョン・ケイの「飛び杼」 (一部抜粋しています)
産業革命が始まる前、18世紀初頭のイギリス。
そこでは、多くの人々が綿の布、つまり綿布を求めるようになっていました。
これはその前の17世紀に、イギリスが世界の生みを支配するようになり、インドから安く高品質の綿布が輸入されるようになったこと、が背景にあります。当時、イギリスではインド産の綿布でつくられる織物が大流行していました。
これに対して、イギリスの伝統産業である羊毛関連の業者たちが、反対運動を起こしたのです。政治家たちも、そうした運動を無視できず、議会は綿の輸入を禁止しました。
これによって18世紀前半のイギリスでは、手に入りづらくなった高品質の綿布を買いたい、という要求が人々の間に生まれていたのです。
この状況の中で、最初に発明をおこなったのが、ジョン・ケイという職人でした。
彼は、布を織る織布工として働くかたわら、織布の工程で使われる織機の部品をつくる仕事もしていました。ケイはその仕事の中で、1台の織機に2人の労働者がつかなければならない当時の状況を、無駄が多いと考えたのです。
少し説明しましょう。糸から布を織る際には、織機を使い、縦糸と横糸を交互に組み合わせていきます。このときに使われるのが、横糸を巻いて収めるための「杼(ひ)」と呼ばれる容器です。杼を使えば、人が自分の指で横糸を縦糸の中に編み込んでいくよりも効率がよくなります。しかし、当時の杼には問題もありました。
杼が、布の横の端まで移動したときには、その杼を逆の端に戻さなければならなかったのです。そのための幅の広い布を織ろうとすれば、織布の職人とは別に、杼を戻すための労働者が必要とされていました。ケイはこれを、改善可能なことだと感じたのです。
そこでケイが考え出したのが、人の代わりに、杼を逆の端まで戻すための「飛び杼」と呼ばれる装置でした。これによって、幅が以前の倍以上の綿布を、以前の何倍もの速さで織ることが可能になったのです。飛び杼の発明は、1733年頃のことだとされています。
しかしケイは、自分の発明の対価を充分に受け取ることはできませんでした。織布の効率が上がったことで、自分たちの仕事を奪われると思った職人たちが、彼の家に侵入するなどの過激な行動に出たのです。危険を感じたケイは、フランスへと逃げ出しました。
ケイの行動は、「飛び杼」という装置を考案し、それを織機に据えつけるようにしただけにすぎません。しかしこれこそが、旧態依然たる織物産業で起きた最初の「革命」だったのです。ケイが、人々に追われ、母国を捨てざるを得なかったことを見れば、社会に対するその衝撃の大きさがわかるでしょう。