じじぃの「科学・芸術_153_香港・日本食」

G. Sushi (Hong Kong) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=b5LE0Bs34-U

香港人男女の平均寿命、日本を抜いて世界一に! 2016年07月29日 香港BSニュース
日本の厚生労働省が発表した2015年の平均寿命のデータによると、平均寿命の世界一は男女ともに香港人がトップとなり、残念ながら、これまで世界一を誇っていた日本人女性は2位に転落、世界一の座を香港人女性に譲ることになりました。
女性の平均寿命は、1位の香港人女性は87.32歳、2位の日本人女性は87.05歳、3位のスペイン人女性は85.58歳となっており、男性の平均寿命は、1位の香港人男性は81.24歳、同率2位のアイスランド人とスイス人男性は81.00歳、4位の日本人男性は80.79歳となりました。
https://hongkong-bs.com/topics/20160729/
『香港を知るための60章』 吉川雅之、倉田徹/編著 赤石書店 2016年発行
日本食 手の届くぜいたく
香港に暮らす人たちは、とにかく日本食をよく食べる。人口は730万人で消費する量も質も、目に見張るものがある。香港は日本からの農林水産物の輸入は、金額ペースで世界一。2005年に人口が40倍のアメリカを抜いてトップとなり、2015年の輸入額は1794億円にのぼる。香港は自由貿易港で、再輸出もさかんであり、輸入したすべてを香港で消費するわけではない。それでも、寿司、ラーメン、果物、飲み物、スナック菓子から洋菓子に至るまで、日本の味を日常的に口にしている人たちが、狭い行政区に集中している。
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1960年11月、香港島のコーズウェイ・ベイ(銅鑼灣)に、大丸デパートがオープン。当時目新しいスーパーマーケットのコーナーには、主に缶詰、瓶詰、乾物が並んだ。また大丸にはレストランと喫茶店もあり、レストランでは、すきやき、てんぷら、神戸牛、そしてフランス料理も出していた。
そして同じく1960年の12月には、九龍の尖沙咀の一等地にあるホテルのなかに、東京レストランが開業した。こちらはお座敷があり、日本人の料理長が腕をふるい、和fy句を来た日本人女性がウェートレスをつとめた。こうした日本料理店の出現は、カメラ、トランジスタラジオ、繊維などメイド・イン・ジャパン好調ぶりと直結している。そして、香港が東南アジア貿易のゲートウェイとそての重要性を増し、日本人ビジネスマンがジェット機で香港を行き交うようになり、日本料理でホッと一息つく憩いの場が必要になったのだ。
一方地元香港の人たちには、この時点では日本食とはほとんど縁がない。大多数の中国系の人たちは、生ものを嫌い、寿司や刺身を口にしなかった、また、だしも生臭いと嫌がった。実際、1960年代に日本へのビジネスや観光から帰った香港の人たちは、口々に「日本には食べるものがない」とこぼしたらしい。
そんな香港のミドルクラスに、日本食が広がり始めるのは、1980年譜代になってからのことだ。きっかけは、大きく言って2つある。1つ目は、香港人による、香港人のための日本レストランが出現したことだ。ここでは香港人のオーナーたちが、徹底した合理化と現地化を図った。例えば、これまで上から下まで日本人だった厨房では、日本人の料理長の下に、香港人のアシスタントをつける形にした。そして、ウェートレスも香港人から注文を取りやすいように香港人、また香港好みのビュッフェ形式や、アメリカで人気を博した鉄板焼きを導入、素材も半加工品などを積極的に取り入れて、コストダウンを図った。現在「日式」と呼ばれるレストランでは、この現地化をさらに推し進め、厨房も全て香港人になる。
2つ目のキッカケは、日本の総合スーパー(GMS)が、新興住宅地に進出したことだ。1984年12月に静岡発のヤオハンの1号店が、郊外の沙田にオープンした。するとこれまで大丸に行っても日本食品に手が出せなかった若いミドルクラスが、日本食の消費者になっていく。焼きたての山崎パンを買いできたてのたこやきをつつき、バックに入った寿司を試す。この背景には、香港での日本のポップカルチャーの隆盛があるだろう。日本アイドルブームで、憧れの近藤真彦中森明菜が食べるものにも興味を持つ。また日常的にテレビで流れる日本アニメで、知らずに日本の食に関する知識も積み上がる。スーパーがもたらした手ごろな日本食品は、若いミドルクラスによって、ちょっと背伸びをすれば手の届くぜいたくとなった。
香港のスーパーの寿司売り場は、冷蔵ケースが一面にサーモンピンク色だ。香港人の好きなネタといえば、なんといってもサーモンで、主にノルウェーがら輸入されている。一般の香港人が寿司を食べ始めたのが1980年代の後半で、これはノルウェーが国を挙げて日本でサーモンの生食キャンペーンをしていた時期に当たる。ノルウェーのサーモンは養殖されているため、価格が手ごろで供給も安定、寿司の新市場にもってこいだった。こうしたグローバルなネタの供給が、香港での寿司ブームを支えていく。
ヤオハンは1997年に閉鎖するが、手の届く贅沢品の供給は、イオン、アピタ、ユニーなど日系のGMSが継承している。また1980年代以降、香港の地場のスーパーも発達し、それまでの雑貨店や市場とは違う、モダンな売り場を提供するようになった。そこでは、香港で現地生産されているヤクルトや即席ラーメンの「出前一丁」が、押しも押されもせぬ定番商品となる。
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同じ高級路線では、1人800香港ドル(約1万1600円)からというような寿司や懐石も香港に急増中だ。そうした店の常連客は日本人より、香港人や中国人が多い。香港では富裕層ほど、日本食をよく食べる。
半世紀前、香港の人たちに「食べるものがない」と言われた日本食は、今では特別な日のごちそうにもなっている。