じじぃの「人の死にざま_1760_前田・光世(柔道家)」

A origem do "Brazillian Jiu Jitsu" : Mitsuyo Maeda o Conde ''Koma'' 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s8joSZuqjwY
 前田光世

コンデ・コマ (Conde Koma 前田光世) 生家跡 〜異種格闘技千勝一敗の柔道家 2014/10/28 誰も紹介しない津軽
前田光世 (Mitsuyo Maeda 1878年12月18日〜1941年11月28日) は弘前市 (旧船沢村) の出身です。
身長164cm、体重70kg。
講道館柔道の創始者嘉納治五郎の直弟子です。
前田はブラジリアン柔術の祖、カーロスとエリオのグレイシー兄弟に柔術を伝えました。
つまり、グレイシー柔術開祖の師匠です。
http://dsntsugaru.blog.fc2.com/blog-entry-18.html
文藝春秋 2017年4月号
「明治百五十年」美しき日本人 私を捨て公のために生きた50人
前田光世 開拓の父となった「格闘王」 【執筆者】神山典士(ノンフィクション作家) (一部抜粋しています)
「20年東京パラリンピック:ブラジル柔道代表、弘前で事前合宿覚書 前田光世が『縁結び』」
今年2月1日、毎日新聞東北地方版に掲載されたこのニュースを伝えてくれたのは、遠くアマゾンの町ベレンに住む堤剛太(汎アマゾニア日伯協会役員)だった。記事によると、ブラジル視覚障害者スポーツ連盟ライナ会長は、「ブラジル人で(コンデ・)コマを知らない人はいない。弘前で合宿が実現すればコマに恩返しできる」と語ったという。
前田は1878(明治11)年、青森県・旧船沢村(現・弘前市)生まれ。講道館発展期に「三羽鳥」と称された柔道家だ。日露戦争の最中に嘉納治五郎の命で粳米に派遣され、世界各国で異種格闘技戦を展開し「コンデ・コマ(高麗伯爵)」と呼ばれた。晩年は雨損の町ベレンに留まって柔術を教え、日本から多くの移民を呼び寄せて「開拓の父」とも言われた。東京五輪を機に、今ではあまり語られることのないその偉業を縁に、日伯間に新たな交流が始まろうとしている。
アマゾンからのメールには、最近になってマナウスで発見された1915年のポスターのデータも嬉々として添えられていた。移民1世として、ベレンに住み続け45年になる堤にとって、前田はいまも「同郷のスター」であり興味の的なのだ。
約20年前、私は彼の評伝を書くためにアマゾン、キューバ、スペイン、イギリス、そして生地弘前と遮二無二取材を重ねた。
前田の魅力は尽きない。164センチ68キロと小柄な体格ながら、生涯異種格闘技戦「2千試合無敗伝説」を持つこと。晩年は「アマゾン開拓の父」としてはるばる日本からやってくる移民の世話をしたこと。世界取材の結果わかったのは、10年に及ぶ世界行脚もその後のアマゾンでの生活も、ひとえに「日本人の誇りの伝承」であったこと。そして何度呼び戻されても、異国の地で踏ん張る移民を思ってついに日本に戻らず、客死を選んだこと――。
1995年にキューバの首都ハバナで取材した移民真鍋直さん(当時91歳)はこう語った。「コンデ・コマさんのことはキューバ人から聞いたことがありますよ。彼はジェントルマンだった。とても強い男だった。この島では一度も負けなかったって」
前田が海を渡った時代、世界は日露戦争において「初めて白人を破った黄色人種」である日本人に驚愕していた。そのイメージと大男を次々と破る前田の姿はダブった。前田は試合では「大和前田」を名乗り、ボクシング、プロレス、アメリカンフットボールの選手らを相手に柔術の格闘技で勝利を収める。
だが前田が生涯を賭けて戦ったのは、旅の途中で出会ったアマゾンの移民開拓事業であった。1935年、故郷の友人で衆議院議員を務めた工藤十三雄へあてた手紙で、前田はこう書いている。
<アマゾン大江を逆行し、隣州アマゾナスの首都マナオス(約1千里)に向かいたる時、行けども行けども人家稀にして洋々たる水と茫漠たる森林のみ眺めて、こここそは神は我ら大和民族のために残してくれたる世界中ただ1つの発展安住の地たるべしと深く印象づけられ(後略)>
ブラジル時代、前田はキューバとメキシコ政府に招かれ、ニューヨークを経由して両国に約1年間滞在したことがある。キューバでは憲兵隊の教師にスカウトされ、その経費はキューバ議会でも検討された。けれど前田はそれに応じず、日本へも帰らずにアマゾンを終の住処とした。
その理由は<アマゾン河を遡りたる時の印象は念頭を去らず>、<民族発展のためその柱石となりて骨を埋むるは神の使命なるべし>と書く。自ら「国士」と定めた運命に殉じて、私設領事としての活動を続けたのだ。
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20年前には「移民は2世、3世中心で計1万人台」と言われたが、いまは4世も生まれ、本国の人口減少とは対照的に、確実に繁栄の道を歩んでいる。
2019年、五輪の前年には、アマゾン日本人移民90周年を迎える。彼の地に眠る前田の魂も、その歴史を言祝いでいるはずだ。