じじぃの「人の死にざま_1466_アントニオ・メウッチ(電話)」

アントニオ・メウッチ

電信の発明 | 通信を利用する機器とその仕組み
電話の発明者は何人もいます
http://occupyrioplus20.net/means/electricity.html
アントニオ・メウッチ ウィキペディアWikipedia)より
アントニオ・メウッチ(Antonio 'Santi Giuseppe' Meucci, 1808年4月13日 - 1889年10月18日)はイタリア人の発明家。彼の代表的な発明品は電話である。
【伝記】
1831年の革命の動きに巻き込まれた彼は、政治的信念によりトスカーナ大公国を後にし、キューバに移住した。1835年にはハバナのTacon劇場に勤め、1850年アメリカ合衆国へ到着した。
1876年にアレクサンダー・グラハム・ベルが「彼の」電話に対する特許を取得。メウッチはこれに提訴したが、当時の彼は破産して食べ物を買うのも困難な状況だった。メウッチは機械式電話を発明したとし、ベルは電気式の特許を取ったという裁判官による判断に基づき、1887年にベルの勝利という形で訴訟は決着した。

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電話を発明したのは、ベルではない。
電話の発明者はグラハム・ベルというのが常識。ベルは1876年、アメリカの特許局に「電信の改良」という特許を出願して認められ、翌年には日本に電話機を輸出し始めた。これはまぎれもない事実である。
ところがベルに先立つこと5年前、アメリカでは、電話に関する特許がすでに出願されていた。「tetetrofono(テレトロフォノ)という音声伝達装置で、発明者はイタリア移民のアントニオ・メウッチという人物。
当時、彼は経営する会社が倒産したばかりで、正式な特許取得の手続き資金がなかった。そこで、やむなく、1年ごとの暫定特許を出願。年1回、10ドルを支払って更新していたが、1874年、ついにその10ドルが捻出できず、更新はストップした。その直後、ほぼ同類のベルの特許が認められてしまったわけである。
メウッチは自分の発明が先であるとして訴訟を起こしたが、不幸にも抗争中に死亡してしまう。このため、特許取得者であるベルが、”電話の発明者”とされてきたのだ。
だがメウッチの母国イタリアでは、国民誰もが「電話の発明者は、わがイタリアのメウッチ」と認識している。そして2002年、ついにアメリカでも議会が「電話開発に貢献したメウッチの業績を認める」との決議文を可決した。
丸1世紀かかって、メウッチはやっと「電話の発明者」として世界中に認められたのである。