じじぃの「人の死にざま_1005_R・アークライト」

リチャード・アークライト - あのひと検索 SPYSEE
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Richard Arkwright: History-Herstory Humanities 2012.wmv 動画 YouTube
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Turning Points in History - Industrial Revolution 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=3Efq-aNBkvc
リチャード・アークライト ウィキペディアWikipedia)より
リチャード・アークライト(Sir Richard Arkwright、1732年12月23日-1792年8月3日)はイギリスの発明家である。1771年に水車を動力とする水紡機(水力紡績機)を発明した。イギリスに産業革命をもたらした発明品のひとつである。
【概説】
ランカシャーのプレストンで生まれ、28歳まで床屋で働いた。その後ボルトンでかつらの商売をはじめ、かつら向けの防水染料を改良して資金を得た。
1768年、ジョン・ケイとともにジェニー紡績機を改良して、綿糸の強度、長さなど品質を向上させた。
翌年、馬を使った大規模な紡績機を作ったがすぐに水力によって運転する方法に変更した(1771年)。
【評価】
リチャード・アークライトは紡績機の発明者ではなく、紡績の機械製工業をつくったと評価される。3度の特許裁判でトーマス・ハイズ(en:Thomas Highs)ら複数の発明をまねたとされ、特許が無効(1785年)になったからである。

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『誰が本当の発明者か』 志村幸雄/著 ブルーバックス 2006年発行
水力紡績機 アークライトは「発明の盗人」か (一部抜粋しています)
リチャード・アークライトは英国が生んだ大発明家で、文字通り立志伝中の人物。1769年には水車を利用した水力紡績機(ウォーターフレーム)を発明し、産業革命に大きな影響を及ぼした。86年にナイトの称号が与えられたのは、その功績が認められたからだ。
アークライトは、一般の知名度も高い。中学生ぐらいになると、産業革命の意義や社会的背景を教わるが、そこで必ず登場する人物が蒸気機関の発明者ジェームズ・ワットであり、このアークライトである。実際、筆者の手元にある小中学生向けの人物別『技術の歴史』(井野川潔著)全5巻の第1卷には『アークライト 紡績機』が選ばれている。
ところが、それほどの人物をあのマルクスが『資本論』の中で罵倒している。
「アークライトの伝記を知る者は、この天才的な理髪師の頭に、決して「貴い」という言葉をかぶせないであろう。18世紀の大発明家のうちで、うたがいもなく彼は、他人の発明の最大の盗人であり、もっとも俗悪な男だった」(向坂逸郎訳)
何とも厳しい言葉だが、盗人呼ばわりされるのは相応の理由があったからに違いない。はたしてアークライトは、本当に「発明の盗人」だったのだろうか。
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アークライトが製作した紡績機は、ワイアットポール機に似ていた。すなわち、大きな紡車が順次回転速度の高まる4対のローラーを回転させる。1対のうち上のローラーは革で覆われ、下のローラーには縦に溝が付いている。綿糸は、回転するローラーをくぐり抜けるうちに次第に引き延ばされ、最後のローラーを通過すると撚れて、垂直紡錘に巻き取られる。
ただしアークライトは、その動力源として水力を組み合わせた。当時の工場には馬を利用した少数の機械があったが、アークライトは、「人の力を馬の力に代えるのもいいが、馬も生き物で限界がある。水の力を利用した水車なら限界はない」と考え、水車の回転運動を、傘歯車を利用して紡績機の動力に取り込んだ。そのためこの紡績機は「ウォーターフレーム」とよばれている。
1769年に申請されたこの水力紡績機の特許は「アークライトの第1特許」とよばれている。
これに続く第2特許は1775年に申請されている。これには紡績機本体の他に、梳綿(そめん)機、租紡機、給綿機などの多くの補助機械が含まれている。梳綿機は、繊維を一本一本に分離し、長さ奉公に配列する装置である。
ところが、これらはすべて他人の発明の模倣ないし盗作だとされているのである。
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アークライトが盗人である最大の根拠として、彼が特許権をめぐる裁判で3度も敗れていことが指摘されている。
前出の第1特許に関しては、水力紡績機自体を発明したのはトーマス・ハイズで、装置の組み立てでは時計職人のジョン・ケイが手助けしたことが証拠立てられた。中でもハイズは、法廷の場で、水力紡績機はアークライトの特許出願より2年早い1767年、自分の生まれ故郷のリーで既に製造されていたと証言した。そして、その歯車の調節のために、ある時計職人を助手にしたと付け加えた。これが他ならぬケイだったのだ。
この証言は、ケイ自身も同じ法廷で確認している。そのうえ、ケイの証言によれば、アークライトはケイを暴力でおどして機械の構造を白状させ、ハイズの紡績機と同じものを作らされた、というのである。
第2特許に出てくる一連の機械も、この訴訟事件を通じて、他人のアイデアをそのまま借用したものであることが判明している。梳綿機は1748年に特許を取ったダニエル・ボーンの機械とほとんど同じ。租紡機については、シリンダーはハイズの機械の援用、垂直軸の上で回転する円錐状の缶は1759年にベンジャミン・バトラーが使用したもの。さらに給綿機は1772年にジョン・リースが発明したものだった。
こうして1785年、アークライトの特許権は無効と認定され、したがって彼の”発明”した装置類は、それ以降、誰でも自由に使用できると宣言された。
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すなわちアークライトは、伝記に書かれたような紡績機の発明者ではなく、紡績産業の発明者だったのだ。水力紡績機は、たしかに他人の発明を盗んだのかもしれないが、それらを組み合わせてシステム化し、機械制工業を生み出したことは高く評価されてよい。
アークライトは、特許をめぐる裁判で敗訴が決まった翌年の1786年、英国王ジョージ3世から「ナイト」の称号を授けられた。「英国の紡績業を発展させて、英国民を富ませ、英国の富を増やした」のが理由である。

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