じじぃの「科学・芸術_138_恐竜と聖職者」

William Buckland 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=o0OHRNJD3eo
恐竜と聖職者

D-AUTHORITIES - William Buckland FANS
ウィリアム・バックランド - 世界で初めて恐竜に名前を付けた人物
http://dinosaur-fan.net/fans/autho/buckland/index.html
『にわかには信じられない遺伝子の不思議な物語』 サム・キーン/著、大田直子/訳 朝日新聞出版 2013年発行
生物学者と古代人類の存在 (一部抜粋しています)
金色の衣をつけたサクサクのネズミ。ヒョウの骨付き肉。サイのパイ、ゾウの鼻。朝食用のワニ。イルカの頭の輪切り。ウマの舌。カンガルーのハム。
確かに、ウィリアム・バックランドの家庭生活は少しばかりおかしかった。オックスフォードの自宅に泊まった客のなかには、ニヤリとしている化石化した怪物の頭蓋骨が、カタコンベ(地下墓所)よろしくずらりと並んだ玄関の廊下を覚えている人もいれば、動き回る生きたサルや角帽をかぶり式服を着たペットのクマや、ディナーテーブルの下で(少なくともある日の午後に一家のハイエナに押しつぶされるまで)人々のつま先をかじっていたモルモットを覚えている人もいた。1800年代の博物学者仲間は、爬虫類の性別に関するバックランドの下品な講義を覚えていた(ただし、必ずしも好意を持たれていたわけではなく、若きチャールズ・ダーウインは彼を道化だと思ったし、『ロンドン・タイムズ』紙には「レディーの面前では」気をつける必要があると軽蔑された)。オックスフォードの住民で、彼がある年の春にやってのけた芸術的パフォーマンスを忘れた人はいない。彼はコウモリの糞が肥料になることを宣伝するために、芝生の上でそれで「GUANO」(天然肥料)と書いたのだ。実際、その文字は夏中ずっと緑色に輝いていた。
しかし、大部分の人の記憶に残ったのはウィリアム・バックランドの食事だ。聖職者で地質学者だったバックランドは、ノアの方舟の物語を重んじていて、方舟に乗った動物を食べ回り、その習慣を「動物食」と呼んだ。動物から取れるあらゆる肉や液体、血や皮膚や軟骨だけでなく、もっとひどいものでも摂取の対象だった。ある教会を訪れ、毎晩屋根の垂木から滴り落ちる奇跡の「殉教者の血」を地元の教区牧師に誇らしげに見せられたとき、バックランドは石床の上にうずくまり、そのしみを自分の舌でなめて、牧師を仰天させた。そしてひざまずいたまま、「これはコウモリのおしっこだ」と断言した。全般的に見て、バックランドが消化できなかった動物はほとんどいなかった。「モグラの味が私のしるかぎりいちばん不快だった」と彼は述べている。「アオバエを味わうまでは」。
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バックランドは新婚旅行と称して妻をヨーロッパ中のサンプル探しに連れ回していた。人里離れた地層の露出部まで歩いて行き、岩をつるはしで砕くときも、黒い式服を着てシルクハットまでかぶると言い張った。骨だけでなく、糞石と呼ばれる動物の糞が化石化した塊にも取りつかれ、見つけたものは気前よく博物館に寄付している。しかしバックランドは、その奇行を帳消しにするほどすばらしい発見をしている。たとえば、ヨークシャーで古代の捕食動物が地下につくった巣を発掘し、そこには一般市民をワクワクさせるほどたくさんのとがった歯とかじられた頭蓋骨が埋まっていた。それは科学的に非常に貴重な業績であり、絶滅論者の主張を裏づけるものだった。その捕食動物は穴居ハイエナで、イギリスにはそのようなハイエナはもう生息していないので、絶滅したにちがいない。さらに核心をついていたのは、肉食傾向を考えるといかにも彼らしい話だが、バックランドがイギリスのとある採石場から掘り出された巨大な骨を、巨大な爬虫類の新しい種と特定したことだ。これが史上最も恐ろしい肉食恐竜の最初の実例である。彼はそれをメガロサウルスと名づけた。
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さらに許しがたいことに、バックランドは史上最大級の注目すべき考古学的発見をこきおろしている。1929年、ベルギーでフィリップ・カレル・シュメルリングが、古代生物の遺物のなかから、人間なのに人間でない不思議な骨を発見した。シュメルリングは、とくに子どもの頭蓋骨のかけらにもとづいた結論として、それが絶滅したヒト科の種に属していると主張した。バックランドは1835年にその骨を学会で分析したが、聖職者として都合の悪いところには目をつぶった。彼はシュメルリングの説を否定し、しかも遠回しに言うのではなく、わざわざ彼の面目をつぶしたのだ。バックランドはよく、化石化した骨はさまざまな化学的変化のせいで自然に舌に張りつくが、新しい骨はそうならない、と主張していた。彼はその学会での講演で、シュメルリングが見つけたヒト科の動物の遺骨と混ざっている動物(クマ)の骨を舌にのせた。クマの骨はすぐに張りつき、バックランドが講演を続けるあいだ、骨は陽気にバタバタ動きまわった。次に彼はシュメルリングに、彼の言う「絶滅したヒト」の骨を自分の舌に張りつけて見ろと迫った。骨はすぐに落ちた。ゆえに、それは古代のものではない、というわけだ。
決定的な証拠ではなかったが、そうやってバックランドが一蹴したことは、古生物学者の心にいつまでも残った。そのため、1848年にもっと不可思議な頭蓋骨が現れたとき、良識的な科学者は無視した。8年後、ノアの洪水を信じた偉大な科学者のバックランドが死亡した数ヵ月後、ドイツのネアンデルタール渓谷の石灰石採石場で、またもや作業員が奇妙な骨を掘り出した。バックランドの影響を受けていたある学者が、その骨の主は、ナポレオンの軍隊が傷を負わされて崖の洞窟で死んだ奇形のコサック騎兵だと断定した。しかし今回はほかの2人の科学者が、その遺骨は異なるヒト科の動物の系統に属していて、聖書に出てくるイシュマエル族よりも異端の一族だと断言した。この2人がさまざまな骨のなかから、眼窩まである成人の頭蓋冠を見つけたことも一助となったかもしれない。その特徴的な張り出した太い眉は、いまだにネアンデルタール人と言われると思い浮かぶものだ。