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小久保采配ここぞで決まった 侍J5連勝、準決勝へ王手 2017年3月15日 朝日新聞デジタル
14日、WBC2次リーグE組 日本8―5キューバ。
3度追いついた日本が、最後はキューバを振り切った。小久保監督の勝負手が、ここぞで決まった。
同点の八回1死一、三塁。この日2安打の小林に打席が回ると代打内川を送った。ベテランは厳しい球をファウルにして好球を待つ。追い込まれた4球目。外の変化球に食らいつき、右飛を打ち上げた。タッチアップした三塁走者の松田が両手を上げて、生還した。場内の興奮が収まらない中、続く山田は初球を2ラン。試合が決まった。
http://www.asahi.com/articles/ASK3H001KK3GUTQP07R.html
『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行
野球の名付け親は正岡子規ではない? より
野球が生れたのはアメリカ。軍人の軍人のアブナー・ダブルデーが考案し、1839年にニューヨーク州のクーパーズタウンで最初の試合が行なわれたといいます。
日本に野球がもたらされたのは1871年で、南校(後の東大)の教師として来日したホーレス・ウィルソン同校で教え、それが全国的に広まっていきました。
1877年にはアメリカ留学から帰国した平岡凞(ひろし)が本場仕込みの野球を披露。その翌年には「新橋倶楽部」というチームを作り、ユニフォームを着用して試合を行ないました。
ちなみに、ベースボールを「野球」と訳したのは正岡子規だという話がありますが、それは誤りで、実際には一高(旧制第一高等学校)の野球部員だった中馬庚(ちゅうまんかなえ)が帝国大学在学中に「テニスはコートでプレーするから庭球、ベースボールはフィールドで行なうから野球」と命名したのです。
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『話のネタ―会話がはずむ教養読本』 毎日新聞社 PHP文庫 1998年発行
「野球」という言葉はだれが作ったのか より
ベースボールを野球と訳したのは、第一高等学校野球部の中馬庚(かなえ)で明治26年のことである。
野球の話は、ベースボール用語のなかの翻訳語としていちばん早い。明治30年代になって、各ポジションの日本名称も必要となってきて、投手、取手、遊撃手、第一塁、第二塁、第三塁、左翼、中堅、右翼という名が決まった。イニングは一回、二回というように訳されたが、当時の記録には「第一囲」「第二囲」と書いたものもある。これは、回の字を見間違えての誤植で、実際にはそういう言葉は使われなかった。
明治30年代後半に、本格的な野球記事が載せられるようになり、打撃数、得点、安全打、三度振、四死球、犠牲球、盗塁、失策という訳語が登場した。
三度振りという言葉は、かなり後まで使われていて、昭和初期の6大学野球の放送で、松内アナウンサーは、早大の主力打者・伊丹捕手の三振を評し、「伊丹いりやの三度振り」などとやっている。