じじぃの「人の生きざま_498_赤瀬川・隼(小説家)」

直木賞作家の赤瀬川隼さんが死去 2015.1.27 産経ニュース
野球に題材をとった小説で知られる直木賞作家の赤瀬川隼(あかせがわ・しゅん、本名・赤瀬川隼彦=はやひこ)さんが26日、肺炎のため神奈川県内の病院で亡くなった。83歳だった。
http://www.sankei.com/life/news/150127/lif1501270018-n1.html
赤瀬川隼

『人は道草を食って生きる』 赤瀬川隼/著 主婦の友社 2001年発行
アメリカ野球映画散策 (一部抜粋しています)
エイトメン・アウト』というアメリカ映画を映画館で観た人はいるだろうか。多分多くはいないだろう。実は僕も観る機会がなかった。というのはこれは日本の映画館では封切られなかったからである。だから観た人は幸運にもたまたまアメリカで上映時にいた人に限られる。
日本では、いきなりビデオで発表された。88年にその映画が作られたことを聞いていた僕は、直ちに買い求めた。おかげで、映画館なら1600円ですむところを、ポケットから大枚1万5千円が消えたのであった。食い物の恨みは恐ろしいというが、この恨みも僕は忘れそうもない。いや、金額のことだけでなく、やっぱり一度は映画館の大型スクリーンのあざやかな映像と音で観たかったからである。
ではなぜ日本で上映されなかったのか。消息通に聞いたところでは、これより1年後に完成した『フィールド・オブ・ドリームス』が日本ではほぼ同時か先に封切られることとなり、これはヒットまちがいなしで、それに比べると『エイトメン・アウト』のほうは、同じ野球を題材としたものでもわりあい地味で、日本の一般の映画ファンにはあまり向かないのではないかとの判断だったらしい。しかも、2つの映画には共通のキーワード的人物がいる。シューレス・ジョーだ。配給元はテーマの重複を恐れたのかも知れない。
確かに、シューレス・ジョーだけでなく、有名な1919年のワールド・シリーズにおける「ブラックソックス・スキャンダル」にかかわったホワイトソースの8人のプレーヤーは、両方の映画に登場するが、共通点はそれだけで、他はテーマといい肌合いといいまったく異質のものだけに、なぜ勇気をもって映画館にかけてくれなかったのかと、今でも残念に思っている。
いや、愚痴はこれくらいにして『エイトメン・アウト』だ。これにはノンフィクションの原作がある。エリオット・アジノフの同名の本(名谷一郎訳・文藝春秋刊)だ。
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今ここに記した分だけ、僕は映画についての感想を省略することができる。というのは、ジョン・セイルズ監督の映画『エイトメン・アウト』(は、その原作のノンフィクションの構成と肌合いに忠実に、1時間半の映像とダイアローグに表現したと、少なくとも僕には思えるからだ。

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文藝春秋 2012年11月号
蓋棺録 「赤瀬川隼 (一部抜粋しています)
作家・赤瀬川隼(本名・隼彦)は野球を題材にした空想小説で注目され、時代小説でも意表をつく作品を残した。
1995(平成7)年、『白球残映』で直木賞を受賞する。同書は心に秘めた野球への情熱や、突然姿を消した投手への追慕を、戦後の記憶と重ねて描いた短編集だった。すでに弟の原平が芥川賞を受賞していたので、「兄弟でダブル受賞」と話題になる。
31(昭和6)年、三重県に生まれた。父親の転勤にしたがって名古屋、横浜、芦屋、門司と移り住む。行く先々で地元のプロ野球チームが活躍するので「野球を好きにならざるをえなかった」。成績もよく原平によれば「兄は一家の希望で、修身の教科書です」。
大分県立第一高等学校(現・大分上野丘高校)で学ぶ。同級生に建築家になる磯崎新がいた。6人兄弟の大家族なのに父親が失職したため、進学が難しくなり、授業も漫然と受けるようになる。
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高校を卒業して住友銀行に入行する。初めは勉強を続けて大学に入ることを目指したが、残業の多い生活のなかで断念せざるをえなかった。神田支店時代に同僚の女性と結婚して平穏な日々が続くが、突如、銀行員がいやになって言語教育会社に転職する。
仕事を続けながら映画の思い出を書き溜め、82年、『映画館を出ると焼け跡だった』を発表した。同年、想像上の時代に起った野球界の「変貌」を描いて出版社に持ち込み『球は転々宇宙間』として刊行。翌年に同作で吉川英治文学新人賞を受賞した。
85年には万葉集を題材にした『潮もかなひぬ』で歴史推理小説に手を染め、2004年の左甚五郎を主人公にした『甚五郎異聞』では、本阿弥光悦宮本武蔵を登場させて読者を驚かせている。