じじぃの「人の生きざま_450_深田・祐介」

直木賞作家の深田祐介さん死去 2014.7.18 MSN産経ニュース
小説「炎熱商人」などで知られる直木賞作家で、産経新聞正論メンバーの深田祐介さんが14日午後2時20分、肺炎のため死去した。82歳だった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140718/bks14071823360002-n1.htm

深田祐介 ウィキペディアWikipedia)より
深田 祐介(ふかだ ゆうすけ、本名:雄輔 1931年7月15日 - 2014年7月14日)は、日本の作家。1982年に『炎熱商人』で第87回直木賞を受賞した。

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文藝春秋 2014年9月号
蓋棺録 「深田祐介 (一部抜粋しています)
作家で評論家の深田祐介(本名・雄輔)は、会社員を続けながら小説やノンフィクションを書き、多くのビジネスマンの共感を得た。
1976(昭和51)年、『新西洋事情』が大宅壮一賞を受賞。日本航空のロンドン支店勤務での見聞をもとに、日本人の文化摩擦を描いた同書は、エピソードの面白さだけでなく、軽妙な達意の文章でも称賛される。
31年、東京に生まれる。祖父は「深田銀行」を設立した資産家で、父親は証券会社を経営していた。少年時代は飛行機にあこがれ、東京・ロンドン間を飛んだ「神風号」の快挙に熱狂した。カトリック系の暁星中学に入学、フランス語の成績がよかった。
戦後、父親が倒産したため、苦学しながら早稲田大学法学部で学び、同人雑誌『ラマンチャ』に参加して小説を発表し始める。同人には長い髪の女子学生もいて、合評会で「あなたは小説を書くことをやめたほうがいい」などと言われたことがある。この女子大生は、やがて曽野綾子の筆名で活躍し始めた。
大学は卒業したものの就職難で、旅行会社や商社などを転々としたが、仕事が暇になったときのことを書いた「あざやかなひとびと」が58年に文學界新人賞を受賞し、直木賞候補にもなる。ところが、この受賞が禍して、「かえって書けなくなってしまい」、日本航空中途採用に受かったのを機に、ビジネスマンに徹することにした。
ちょうど、急速に日本企業が海外に進出していく時期で、深田もロンドンで7年間過ごす機会を得る。「当時は戦後日本経済にとって青春期だった」。このときの体験が大宅賞受賞につながり、また、新たに小説を書く意欲を生み出すことになる。
月曜日から金曜日までは社員として仕事に邁進し、土曜日と日曜日に原稿を書くという「二足の草鞋」を始め、海外で活躍する日本人をテーマに作品を発表した。82年には、フィリピンで起こった日本人襲撃事件に触発されて書いた『炎熱商人』で直木賞を受賞する。「これも週休2日制のお蔭です」。翌年、日航を退社している。
その後も次々と作品を発表したが、日本経済がピークを迎えた80年代には、堺屋太一渡部昇一谷沢永一とともに「三ピン一スケ」と称され、ビジネスマン必読者の著者の一角を占めた。