じじぃの「科学・芸術_112_平家物語・琵琶法師」

平家物語 壇ノ浦の戦い 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AOQFjEjq81o
耳なし芳一

『学校では教えてくれない日本史の授業』 井沢元彦/著 PHP 2011年発行
琵琶法師がなぜ『平家物語』を語るのか (一部抜粋しています)
仏教の力で怨霊を鎮める。
こうした『平家物語』における鎮魂の考え方がとてもわかりやすいかたちで表れているのが、「耳なし芳一(ほういち)」の話です。
耳なし芳一」は、ラフカディオ・ハーンの『怪談』に収録されている話ですが、もとは下関地方の壇ノ浦の近くに建つ阿弥陀寺を舞台とした奇怪な伝説です。
壇ノ浦の近くの阿弥陀寺というお寺に寄宿する盲目の琵琶法師・芳一は、若いながらも琵琶の名手でした。寺の者が法事で出払っていたある日、芳一は、この地にやってきた身分の高い人がお前の琵琶をぜひ聞きたいと言っているからと、呼び出されます。
使者に連れられ、貴人の前に出た芳一が「何をご所望ですか」と聞くと「平家物語を」と言います。求めに応じて芳一が弾き語りをすると、貴人はたいそう喜び、その日以来、芳一は毎晩その貴人のもとへ連れて行かれ、『平家物語』を語り続けました。
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耳なし芳一」の話は、『平家物語』よりずっと後のものですが、『平家物語』における鎮魂の方法論がとてもよく表われていると言えます。
これほど巧みに怨霊鎮魂に用いるには、仏教に対する深い知識と理解が必要です。さらに『平家物語』は平家の勃興から、栄耀栄華を経て壇ノ浦で滅亡するまでの長いストーリーです。そのため、この作品を書き上げるには、仏教だけでなく、武士の世界に関する知識も、朝廷に関する知識も必要です。いったい、誰にこれほどの作品が書けたのでしょう。
平家物語』は誰がつくったのか。
この謎を解くためにも、もう少し詳しく『平家物語』の特徴を見ていきましょう。
まず基本的に重要なことは、『平家物語』は、『源氏物語』や『枕草子』のような和文ではなく、「和漢混淆文」で書かれているということです。
和漢混淆文というのは、日本古来の大和言葉に漢語を交ぜた文体のことですが、その特徴は非常にリズミカルでわかりやすいということです。本項の初めに『平家物語』の冒頭部分を暗記している人は多いと言いましたが、実は長く記憶に留めることができているのも、和漢混淆文という非常にリズミカルな、しゃべりやすい文体だからなのです。
このことは、和文で書かれている『源氏物語』の冒頭部分を声に出して読み比べてみるとすぐにわかります。
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そして、こうして和漢混淆文が用いられたのは、どうも最初から「語り聞かせるためのもの」としてつくられたからのようなのです。
つまり、現代風にわかりやすく言うと、もともと和文で書かれた原作があり、それを琵琶法師たちがひとり語りの劇として演じるために脚本に仕立てたのではなく、最初から演じるための脚本としてつくられた作品だということです。
実は、このことを証明するとともに、『平家物語』の作者を突き止める史料が存在しています。それは、皆さんがよくご存じの有名な文学作品、鎌倉時代吉田兼好によって書かれた『徒然草』です。
吉田兼好は、『徒然草』に、『平家物語』の起源について、次のように記しています。
  後鳥羽院の御時(おおんとき)、信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)、稽古の誉(ほまれ)ありけるが(中略)この行長入道、平家物語を作りて、生仏(しょうぶつ)といふ盲目(めしい)に教へて語らせけり。
                      (『新訂 徒然草岩波文庫 226段)
後鳥羽院というのは、幕府に対して反乱を起こし、最終的には隠岐島に流されて、そこで生涯を終えられた鎌倉時代初期の上皇後鳥羽上皇のことです。その頃に、「信濃前司行長」と言う男がいて、その人物が平家物語を書き、「生仏という盲目」の琵琶法師に語らせたというのです。
なんだ、『平家物語』の作者はわかっているんじゃないか、と思いますよね。
でも、実はこの史料は「あてにならない」とごく最近まで無視されていたのです。
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平家物語』の作者は誰なのか。
結論から言うと、私は、『平家物語』は、『徒然草』の記述通り、スポンサー兼プロデューサーである慈円が、藤原行長生仏という非常に優秀なライターを選んで書かせたものだと考えています。
そう考える第一の理由は、先ほども少し述べましたが、『平家物語』の作者は博識でなければならなかったからです。
平家物語』の作者は実に博識です。武士のこともよく知っているし、公家のこともよく知っている。さらには仏教思想も身につけている。百科事典などない当時、それだけの知識をひとりで持つのはほぼ不可能です。
では、なぜそれができたのか。『徒然草』の記述はその謎を簡単に解いてくれています。まず武士については、生仏という人物が、武士から多くの話を聞いた琵琶法師であることが記されているので、武士や戦についての知識は彼が提供したのでしょう。一方、信濃前司行長は公家の世界の出身です。しかも関白九条家に仕えていたとなれば、公家社会に詳しいのは当然です。では、仏教思想はどうでしょう。これはもちろん、天台座主慈円がいます。
つまり、武士、公家、僧侶というそれぞれの世界のエキスパートが協力することで『平家物語』は書かれたのです。