じじぃの「人の死にざま_1570_藤原・道長(平安時代の関白)」

その時歴史が動いた 藤原道長 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kHGPuQX2Zpg
藤原京CG再現プロジェクト 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=OPJpftkz1Ow
藤原道長 ウィキペディアWikipedia)より
藤原 道長(ふじわら の みちなが)は平安時代中期の公卿。後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇の外祖父にあたる。
父の兼家が摂政になり権力を握ると栄達するが、五男であり道隆、道兼という有力な兄がいたためさほど目立たない存在だった。しかし兼家の死後に摂関となった道隆が大酒、道兼が伝染病により相次いで病没。後に道隆の嫡男伊周との政争に勝って左大臣として政権を掌握した。

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『学校では教えてくれない日本史の授業 悪人英雄論』 井沢元彦/著 PHP文庫 2015年発行
藤原氏――天皇家に巣くう寄生虫の謎 (一部抜粋しています)
古代日本の歴史を動かしてきたのは藤原氏だと言っても過言ではありません。
中臣鎌足が天地天皇から「藤原」の姓を賜ったところから始まる藤原氏は、政権が天智系から天武系に移ってもその力を弱めるどころか、不比等持統天皇に巧みに取り入ることによって、一族の女性を皇后にし、天皇を陰から操るまでに成長しました。
その後、天武系が途絶え、天智系に移ったとき、普通なら藤原氏の権勢も失われそうなものですが、藤原氏は別系統で生きながらえ、一族をさらなる繁栄に導きました。その姿はまさに、姓に用いられている「藤」の特性そのものです。
藤という植物は、蔓(つる)性落葉木で他の木や物に絡(から)みつきながら成長していきます。これは別の見方をすれば、藤というのは、絡みつくものがなければ生きられないということです。まさに天皇家に絡みつくことで成長し続けた藤原氏の生き方そのものではないでしょうか。
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こうした藤原氏のやりかたは、平安時代にひとつの「身分」として結実します。
それが「関白」です。
関白というのは天皇に代わって政治を行うことができる地位です。関白は律令にはない令外官(りょうげのかん)で、ごく簡単な言い方をすれば「天皇の代理」です。
これに似た地位に「摂政(せっしょう)」というものがあります。でも、摂政と関白が決定的に違うのは、摂政が天皇が幼い子供だったり女性だったりして、政務を果たす能力に欠けると判断される場合に皇族の中から選ばれるのに対し関白は天皇が十分な執務能力を持つ成人男子であっても置かれたということです。
しかも、関白は皇族でなく、藤原氏の中でも限られた家系の人間しか就くことができない役職だということです。なぜそのようなことになったのかというと、これは藤原氏が自分たち一族のために作ったものだからです。
これは世界にも類を見ない、実に不思議な役職です。なぜなら、天皇というのはほかの国で言えば王に相当し、王族と臣下には決して乗り越えることのできない序列があるからです。どこの国でも、それこそ王族を滅ぼし、自らが新たな王になるというのでもない限り、臣下は王族になれません。でも藤原氏は、日本独自の「関白」という藤原氏専用の役職を創設することで、臣下の身でありながら、この決して乗り越えられないはずの壁を乗り越えてしまったのです。
その証拠に関白に対する敬称に表れています。関白に対する敬称は「殿下」です。
天皇と皇后の呼び名は「陛下」、「殿下」という敬称が用いられるのは、もともとは天皇の子供に当たる親王内親王、あとは王、王女などの皇族だけでした。それが、関白は天王の代理を行うのだから、天皇の次の身分とみなされるということになったため、皇太子より上なのだからと、敬称も皇族と同じ「殿下」が用いられるようになったのです。
平安時代中期、藤原道長のもと藤原氏の隆盛は頂点を極めます。このとき道長が詠んだとされる有名な歌が残っています。
 この世をば わが世とぞ思う望月(もちづき)の かけたることもなしと思へば
望月というのは満月のことですから、欠けている部分のない満月のように、今この世で私に叶わない望みはない、という意味です。大変に傲慢な歌ですが、本当に道長本人が詠んだものだとされています。
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なぜ日本人の識字率がこれほど高かったのか、その謎を解くカギとなるのが、『平家物語』の存在だと私は思っています。
琵琶法師によって語られる『平家物語』は、今で言えばラジオドラマのようなものです。確かに、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と庶民にとっては難しい言葉もありますが、リズミカルなタッチで描かれているので、その言葉は記憶に残ります。
文字を覚える基本は、実は、この「耳で聞いて言葉を覚える」ということなのです。つまり、日本人は、『平家物語』を耳で聞いて楽しんでいたことによって、知らず知らずのうちに文字を覚える基礎を培っていたのです。これが、世界的に見てもトップレベルの識字率を誇る民族になれた秘密です。
こうして振り返ってみると、日本で世界最古の「近代小説」が生まれたのも、日本人の識字率が世界トップレベルの高さを誇ることになったのも、その源泉を辿ると、陰謀を繰り返すことで一族を発展させた藤原氏が怨霊の祟りを畏れ、言霊による鎮魂を熱心に行ったからだと言えます。
つまり、他氏を次々と排斥し、天皇家に絡みつき寄生虫のようにしてその権勢を誇った悪人・藤原氏が、その陰謀の副産物である鎮魂のために行ったことが、日本人の教養を高め、世界に誇る文学作品を生み出すことに繋がったということです。