じじぃの「神話伝説_03_大正天皇」

大正天皇 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=0mNIQLIhgR8
大正天皇 ウィキペディアWikipedia)より
大正天皇(たいしょうてんのう、1879年(明治12年)8月31日 - 1926年(大正15年)12月25日)は、日本の第123代天皇。諱は嘉仁(よしひと)。幼少時の御称号は明宮(はるのみや)。お印は壽(じゅ)。明治以降で初の一夫一妻制を採った天皇
【晩年】
1917年(大正6年)頃から、公務や心労が病の悪化に輪をかけ、公務を休むことが多くなり、1919年(大正8年)には食事を摂ることも勅語を読むこともできなくなるほど病状は悪化していた。
1920年(大正11年)3月26日、東京大学教授三浦謹之助は「幼小時の脳膜炎のため(中略)緊張を要する儀式には安静を失い、身体の傾斜をきたし、心身の平衡を保てない」という診断書を提出した。1921年(大正10年)11月25日、当時20歳だった皇太子・裕仁親王昭和天皇)が摂政宮に就任することで大正天皇は事実上の退位となり、宮内省発表による『天皇陛下御容體書』によって病状は公にされる運びとなった。このため、後々にも「病弱な天皇」として一般に認識されることになった。

                            • -

『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店 (一部抜粋しています)
大正天皇 (1879 - 1926) 47歳で死亡
天皇陛下には御降誕後三週目を出でざるに脳膜炎の御疾患に罹らせられ、御幼年時代に重症の百日咳、腸チフス、胸膜炎の御大患を御経過あらせられ、そのために、御心身の発達に於て、幾分遅れさせらるる所ありしが、内外の政務に日夜、大御心を悩ませられ給いしため、近年に至り、目下の御身体の御模様においては御変りあらせられざるも、御脳力漸次御衰えさせられ、殊に御発語の御障害あらせらるるため、御意志の御表現甚だ御困難に拝し奉るは、まことに恐懼(きょうく)に堪えざるところなり」
大正10年11月、この宮内省発表の「天皇陛下御容態書」とともに、大正天皇は事実上退位し、摂政が置かれた。摂政裕仁(ひろひと)は時に20歳であった。
大正天皇はこの時点においても体重18貫(67.5キロ)であり、外見上はまったく健康体であった。しかし、いつもボンヤリ考えこむような姿勢で、自分から口をきくということがなくなっていた。大正15年8月、葉山御用邸に転地してからは、自分一人で歩行も出来ず、終日ベッドで暮らしていた。そしてついに沈下性肺炎を起こして、12月25日崩御された。
病気の本態は、いまも明らかでない。