じじぃの「神話伝説_09_昭和天皇」

昭和天皇【Emperor Hirohito】 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=oxpGS7KXsP0
昭和天皇 自然のなかで 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=MM0Wua66e74
昭和天皇マッカーサー

プライムニュース 「昭和天皇実録」公開 1万ページを読み解く 開戦・終戦時の真意は 2014年9月9日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】秦郁彦(現代史家)、山内昌之東京大学名誉教授)
8月21日、昭和天皇実録が完成し、天皇皇后両陛下に献上(奉呈)された。
これは、昭和天皇の生涯に渡る日々の活動を記したもので、61冊約12000ページにも及ぶ。本文中に黒塗りはなく、宮内庁は来春にも公刊する予定だ。太平洋戦争の開戦前や終戦時の昭和天皇の様子がどう記録されているのかなどに注目が集まっている。
この日は識者を迎え、昭和天皇実録についてうかがう。
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140909_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140909_1
プライムニュース 「昭和天皇実録」続論 終戦そして戦後の真相 マッカーサー会談秘話 2014年9月15日 BSフジ
【キャスター】島田彩夏、反町理 【ゲスト】秦郁彦(現代史家)、山内昌之東京大学名誉教授)
9日に公開された「昭和天皇実録」。61巻約12000ページにも及ぶこの実録には、昭和天皇の誕生から崩御までが克明に記されている。これまであまり明らかになっていなかった、戦前や終戦直後の昭和天皇の言動について、時系列で細かく記されており、昭和天皇の新たな一面を垣間見ることができる。
番組では、9日の放送で太平洋戦争開戦までをお伝えしたが、今回はその続きにあたる終戦の御聖断に至る経緯から戦後の動きをお伝えする
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140915_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d140915_1
岩波現代文庫昭和天皇マッカーサー会見』 moreinfo
本書の表紙にあまりにも著名な写真を掲載させていただきました。
1945年9月27日の昭和天皇マッカーサーの第一回会見当日の写真です。敗戦から約1ヵ月後に始まった両者の会見は、全部で11回に及びました。その場で何が語られたのかは、今までごく断片的にしか明らかにされてきませんでした。
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6001930/top.html
昭和天皇 ウィキペディアWikipedia)より
昭和天皇(1901年(明治34年)4月29日 - 1989年(昭和64年)1月7日)は、日本の第124代[1]天皇(在位:1926年(大正15年)12月25日 - 1989年(昭和64年)1月7日)である。
諱は裕仁(ひろひと)。
歴代天皇の中で(神話上の天皇を除くと)在位期間が最も長く(約62年)、最も長寿(宝算87)であった。

                          • -

『昭和史と天皇 色川大吉/著 岩波セミナーブックス36 1991年発行
昭和の終焉 (一部抜粋しています)
1989年(昭和64)1月7日、午前6時33分、天皇裕仁が満89年8ヵ月の波乱の生涯を終えました。前年の9月19日、大きな吐血をし、一時危篤と報じられてから4ヵ月のことです。その間、吐血や大量輸血(2万ccを超える)による子康を繰り返し、国民やマスコミを一喜一憂させましたが、百余日も初期の健康状態はつづかず、一時の祈願ブームや記帳ブームは最も大事な時にはすでに下火となっておりました。
しかし、いよいよその日がきてみれば、Xデーの到来を待っていた政府やマスコミの呼びかけもあって、1月7日の当日はもちろん、翌日も、日本中が「哀悼列島」に変わりました。歌舞音曲は「自粛」を求められ、町も軒並み店を閉め、ネオンサインを消すなどして、整然と喪に服したものでした。しかし、少数ではあれ、天皇批判の集会が全国各地で開かれ、政府の「自粛」要請に抗議するデモが行われました。また若者の多くが貸ビデオ屋に走ったり、スキーに行ってしまったことも事実です。
天皇逝去(マスコミは「崩御」と報道)は、翌日の朝刊に大きく報道されました。私は『朝日新聞』の中ほどの見開き2頁を(広告なし)、上下13段にわたってぎっしりと埋めつくした、3人の学者の天皇論を読んで驚きました。日本近代史専攻の東京大学教授伊藤隆は「昭和期と天皇の政治的役割」を、政治学者の立教大学教授高畠通敏は「一身二生と昭和天皇」を、国際基督教大学教授の武田清子も、思想史家の立場から昭和天皇の生涯の意義を論じていたのです。
この3人の思想的立場が違っていたことはよく分かっていました。『朝日』としては、右、中道、やや左と無難なバランスを選んだなと思ったものです。3論文とも十分に練りあげられたものとみえて文体は堅牢でした。ところがです。おどろいたことに、この3者とも昭和天皇擁護――無罪論ではほぼ一致していたのです。伊藤隆がそうであることは学界では周知のことですから驚くにあたりませんが、かつて安保闘争ベ平連市民運動家でハードなリベラリストとして通っていた高畠通敏には驚きました。誤解してはならないと思い、私は三度読み返してみましたが、高畠もまた結果として天皇擁護の合唱に唱和していたのです。いったい高畠の論文のどこに、彼をそうさせた落とし穴があったのでしょうか。
その前に、この3人に共通しているのは、天皇への温かいシンパシィです。天皇の波乱に満ちた一生に対して共感し、それを内側から理解し、解説しようとする姿勢です。通常人なら、それは死んだばかりの人への礼儀であり美徳とされるでしょうが、彼ら3人は国民の良識を代表するという重い責任を託された解説者として、かなり早い時期に執筆を依頼されていたに違いありません。それならば哀悼の情に動かされてはならぬ学者としての厳正な批判的な態度が求められるのです。
     ・
韓国の日刊紙ははっきりと「歴史的罪悪」を指摘する。わが国の代表的論客たちは「歴史的罪悪」を否定するか、あいまいにしている。このギャップはまことに大きいのですが、その論点は深められることなく、国家的儀礼の荘厳さに押し流され、「昭和」はこうして終焉しました。しかし、私たちの肩には近隣諸国から繰り返し指摘されるような負荷は依然として残されたままなのです。