じじぃの「人の生きざま_725_鳥居・民(歴史作家)」



【文庫】毛沢東 五つの戦争 鳥居民 著 草思社 2012年発行
朝鮮戦争から文革まで毛沢東の行った五つの戦争を分析し、戦いの背後に潜む「共産党中国」の奇怪な行動原理を驚くべき精度で解明した伝説的名著、待望の文庫化!
●鳥居民
1928年(昭和3年)、東京牛込に生まれ、横浜に育つ。水産講習所を経て台湾政治大学へ留学。台湾独立運動に関わる。現代中国史、日本近現代史研究家。
主な著書に『昭和二十年』(既刊13巻)『毛沢東五つの戦争』「反日」で生きのびる中国』『原爆を投下するまで日本を降伏させるな』(いずれも草思社刊)など。本書執筆には1975年ぐらいから準備し40年ほどを費やした。親左翼的な史観にとらわれていた歴史研究に、事実と推論を持って取り組む手法で影響を与える。
2013年1月急逝。享年84。
http://www.soshisha.com/book_search/detail/1_1890.html
【正論】評論家・鳥居民 ウイグルの陰に権力闘争あり 2009.7.31 MSN産経ニュース より
今回のウイグルの大暴動が起きるより前、新疆はパレスチナのようになるだろうと予言した中国人の作家がいた。そのパレスチナだが、オバマ米大統領イスラエルの首相に向かって、パレスチナを国家として認め、ユダヤ人のパレスチナへの入植をやめるようにと勧告している。中国の指導者に同じように説くのはいつのことになるのだろう。ところで、私がここに書くのは別のことだ。
主要8ヵ国首脳会議が7月8日から開かれるという直前に胡錦濤主席はイタリアから慌てて帰国した。ウイグルの暴動についての北京からの報告をつぎつぎと受けとってのことだった。暴動は鎮圧した、それでも油断は禁物、サミットなどどうでもよいと胡主席が考えたのは、なぜだったのか。
4年前に上海ではじまった党中央が絡む権力闘争が胡氏の脳裏をかすめたのではなかったか。北京にとどまっていた温家宝首相であれば、その4年前のことが即座に頭に浮かんだはずだ。それから4年あとの現在、広東でこれまた党中央が関与する権力闘争がつづいていることをこの2人は承知している。胡主席と温首相が、危機に直面して、離れ離れになっていてはいけないという教訓を学んだのがその4年前の出来事だった。
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読者も記憶されていよう。その年のはじめから「民主とはよいものである」のキャンペーンは、民主的な選挙制度を党大会に持ち込もうとする雰囲気造りだった。だが、胡主席の側が負けた。かれは戦術を変えた。汪党書記の広東省の党の選挙を民主的な仕組みに変えさせ、これを中央へ持ち込むことにした。ところが、広東省に残る江派の党幹部が徹底して妨害した。中央紀律検査委員会が広東省汚職を摘発し、かれらを狙い撃ちにしたのは、こういう訳からだった。だが、「民主とはよいものである」が党の原則となり、党の外へ広がるかどうかがわかるのはまださきだ。18回党大会の開催は3年あとだ。(とりい たみ)

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『克中韓論 中国・韓国の「反日情報工作」に打ち克つ日本』 黄文雄/著 イースト・プレス 2015年発行
世界から軽蔑される中韓の「反日 より
国共内戦に勝ち抜いた中華人民共和国毛沢東の指導下で「世界革命、人類解放」のスローガンを掲げ、社会主義社会建設に猪突猛進した。そしてアメリカ帝国主義を「人類最大の死敵(不倶戴天の敵)とみなす。
その一方で「アメリカ帝国主義、日本軍国主義、台湾分離主義」を20世紀の3大敵に設定した。そして、21世紀に入って10年以上経った今、「東は日本、西はインド」が中国の2大敵なのだそうである。
中国の仮想敵国の設定は毛沢東戦略の重要な要素だった。いかにも中国らしく巧妙で、しかも多元的に利用するのである。外敵を創出することで大衆の不満を外敵に向かわせるのが常だった。また民力を結集して国内の建設運動のテコとしても利用する多目的な民衆運動とされる。
このことについて具体的に論究した本が『毛沢東 五つの戦争』(鳥居民著、草思社文庫)だ。じつに興味深い内容である。たとえば朝鮮戦争のときに毛沢東義勇軍を戦場に送ったが、その多くは国民党から投降した兵士であった。
つまりアメリカを中心とする連合国軍の手で国内の敵を殲滅してもらったのである。朝鮮への義勇軍出兵は挑戦戦争を口実に東北(旧満州)にソ連軍を進駐させようとしたスターリンのたくらみも阻止した。また国内の敵を数多く粛清したことで建国直後の「三反五反運動」を推進することもできたという。
中ソ間で領有権争いされていた珍宝島ダマンスキー島)での軍事衝突の目的は「ソ連修正社会帝国主義」という外敵をつくりだし、民衆の不満と怒りを外敵に向けさせることにあった。
毛沢東の狙いどおり、珍宝島での軍事衝突は文革による国内各勢力の争いと対立をも解消させ、反ソ・デモの大衆動員につなげ、中国共産党第九回全国大会(九全代)の成功にもつながった。