じじぃの「人の死にざま_1748_森川・清二郎(台湾で神になった日本人)」

義愛公 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=b9VgF-NYvKU
森川清二郎


森川清治郎 ウィキペディアWikipedia) より
森川 清治郎(もりかわ せいじろう、文久1年(1861年) - 1902年4月7日)は、日本の警察官(下級官吏)。
「義愛公」の名で知られ、台湾において土地神として崇められている。俗称「日本王爺」。

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『教科書が教えない歴史(3)』 藤岡信勝自由主義史観研究会/編 産経新聞社 1997年発行
台湾で”神さま”になった警察官 (一部抜粋しています)
皆さんは、台湾で”神さま”になった日本人がいることを知っていますか。神さまとしての名前は「義愛公」ですが、森川清二郎(画像参照)という警察官だった人です。どうして森川は神さまになったのでしょうか。
森川は日清戦争で日本の統治下になった直後の1897年(明治30年)、37歳のときに巡査として台湾に渡りました。そして南部の台南州(今の嘉義県)東石郷副瀬村の派出所に勤務します。
当時の台湾は治安も悪く、警察官の勤務は大変なことでしたが、森川は身を犠牲にして任務に当たりました。あるとき、村人の一人が海にカキを捕りに入り、貝ガラで足を切ってしまいましたが、それを見た森川は海に入り、その人を背負って自宅まで送り届けました。森川自身も海に入ったときケガをしましたが、黙っていました。後にこれを聞いた村人たちは感泣したということです。
また、当時、正規の学校がなかったため派出所の隣に寺小屋を設けました。日本から教科書を取り寄せて、子供たちだけでなく、大人たちにも読み書きを教えました。そのため、村人からは「大人(たいじん)、大人」として慕われていました。
ある年のことです。台湾総督府が村人に漁業税を新たに制定しました。副瀬村は漁業が主な産業でしたが、もともと貧しく、厳しい税金が課せられると生活できなくなります。そこで、村人は森川に対しその税金を軽減してくれるよう嘆願してきました。実は当時、台湾の警察官の仕事として税金を集めることもあったからです。
森川は「生活がきわめて苦しい実状を見ると何とも忍びない。その意を上司に伝えてみよう」と約束しました。そして、台南州東石支庁を訪ね、税を減免するよう申し入れました。ところが、当時の支庁長は、森川が村人を扇動していると誤解しました。実態調査もしないで森川の要請を門前払いにしたうえ、森川を懲戒免職にしてしまったのです。
森川にとってよほどこれは無念だったのでしょう。銃で自殺します。1902年(明治35年)4月7日のことで、森川42歳のときでした。村人たちが嘆き悲しんだことは言うまでもありません。
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戦後、中華民国政府が日本に代わって台湾を統治するようになり、政府から義愛公のご神体を抹殺するか、当局に提出するよう指示がありました。しかし、村人たちはこれに応じないだけでなく、日本人警察官とわからないようご神体に中国式の帽子や衣を着せて中国風の神さまに見せました。今でも「日本の神さま」として信仰を集めているということです。