じじぃの「人の生きざま_715_ボブ・ディラン(歌手・詩人)」

Blowin'The Wind ボブ・ディラン 風に吹かれて 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7GDqvnGai50
Bob Dylan - Tangled Up In Blue 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YwSZvHqf9qM
Bob Dylan

風に吹かれて(ボブ・ディラン1941〜) Japanese poetry by Fukashi Hojo
http://blog.goo.ne.jp/fukajion/e/722fce78a3d969cde8a89e6d7b3fd7ea
NHKスペシャル 「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」 2016年12月10日
今世紀最高の詩人、偉大な芸術家、反戦フォークの旗手…。
その謎めいた比喩や歌詞は、正確な意味をめぐって世界でも議論が続いてきた。「ボブ・ディラン」とは何者なのか?詩に込められた真意とはどのようなものなのか?
今回、NHKは未公開の「秘蔵メモ」や映像を独自に取材。ひとつの歌が生まれるまで、ディランがどう時代と向き合い、詩へと凝縮させてきたのか、知られざる創作の秘密に迫っていく。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/46/2586886/index.html
ボブ・ディラン――ロックの精霊』 湯浅学/著 岩波新書 2013年発行
ソング・トゥ・ウディ より
フォーク・ソングは歴史や習俗、文化人類学的アプローチが避けて通れないものであることから、聴き手も歌い手もすんなり手を携えるわけにはいかない面もあった。そのような中でボブは、スノビッシュな研究者とも、コマーシャルで一聴洗練を感じさせる歌い手たちとも違う「バランスのとれた目で眺めよう」としていた。
ガスリーの歌から”歌は生き方を学べるものである”ということを体感したボブは、ガスリーの歌を書き込むほどに、ミネアポリスでの生活が留まるに及ばぬものに思われ、窮屈に感じるようになった。ガスリーの自伝『ギターをとって弦をはれ(Bound for Glory)』を熟読していたボブは、いてもたってもいられなくなった。
そして、ある日、ウディに会いに行くことを決意する。フォーク・ソングの中心地であるニューヨークを目指し、ミネアポリスを後にした。極寒の1960年12のことである。クリスマスの直前、ギターとスーツケースひとつを持ち、ヒッチハイクで、ボブは旅立った。
道中にて
ニューヨークへの道すがら、ボブはシカゴに立ち寄った後、ウィスコンシン州マディソンに向かう。そこでボブは、数年前から全米の大学を歌ってまわる活動をしていたピート・シーガーのコンサートを見る。
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ベッシー・スミス、フレッチャー。ヘンダーソンベニー・グッドマンカウント・ベイシーチャーリー・クリスチャン、ビリー・ホリディ、挙げればきりがないジャズ、ブルース、R&Bの歴史に残るミュージシャンのレコーディング・プロデューサーを務めたジョン・ハモンドが、ボブのレコードを作りたいと言ってきた。
ハモンドはボブに声をかける前年、ピート・シーガーのアルバムを作っている。彼はフォーク・シンガーに注目していた。当時コロムビアにはフォークのアーチストは一人も所属していなかった。シーガーは赤狩りブラックリストに載っている人物だったが、フォーク界の重要人物だ。ハモンドコロムビアで扱えない作品に対しては、別のレーベルからの発売を許可するという一項を契約に盛り込んだ。シーガーの活動を尊重する配慮である。
ハモンドの自伝によれば、ボブの前にジョーン・バエズにも契約を持ちかけている。1959年、フォーク・シーンに鮮烈に登場した美声と美貌の持ち主、新しいフォークのミューズは、しかし金額面でハモンドと折り合わなかった。予想以上の高額だったという。

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12月10日 NHKスペシャル 「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」 より
 むかし君は いかす服を着て
 乞食に小銭を投げていたよね
75歳となったディランは今年、世界を驚かせた。
ノーベル文学賞の発表。
ノーベル文学賞 今年の受賞者を発表します ボブ・ディラン
ミュージシャンがノーベル文学賞を受賞するのは史上初めてのことだった。
ディランは言葉を自由に操る。
「詩的表現」 「神話的世界」 「韻の洪水」
誰も書けないような歌詞を書く。
しかし、その言葉の意味するところは不可解で難解だ。
「ミスター・ダンプリンマン」
ジョアンナの幻」
ディランの言葉が戦争を歌う。
「風に吹かれて」(1963年)
恋を歌う。
「スーナー・オア・レイター」(1966年)
世界の終わり。運命を歌う。
テンペスト」(2012年)
ボブ・ディランは魔法の言葉をどのように生み出してきたのか。
そして、75歳となった今言葉はどこに向かっているのか。
ディランの言葉を追ってアメリカへ。
ディランへの接触を試み始めたのは11月中旬のことだった。だが、ディランサイドのガードは堅く全く埒が明かない。
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アメリカ中西部のタルサという街に向かう。
大学の施設に現れた男は、ディランの膨大な資料を管理する人物だった。
ボブ・ディランの資料庫。
その謎に光を当てる新たな発見があの資料庫であった。
1975年頃、30代半ばのディランが歌詞を書きためるために使っていた古い手帳だ。
手帳にはディランの作品の中でも極めて複雑な世界観で知られるヒット曲の下書きがあった。
「Tangled Up In Blue」
歌われるのは自らをモデルにしたといわれる男女の物語。
アメリカを離れる直前、ディランの言葉が眠る資料庫でまた新たな発見があった。
箱の中にあったのは、2012年に発表されたアルバムの表題曲だった。
ディラン、71歳の時の作品だ。
さまざまな紙に書かれた歌詞は実に45番まで続く。
そこには世界の終末を予感させる言葉がいくつも散りばめられていた。
歌の名は「テンペスト(Tempest)」(嵐)。
タイタニック号の沈没をモチーフに死に向かう人々を歌う。
 白い月 薔薇は輝く
 西の街を出航する
 女は船が沈む
 悲しい物語を語り始める
70歳を超えたディランは45番まで言葉を重ねて何を伝えたかったのか。
救いのない世界への絶望なのか。
死に行く者たちへの弔いか。
だが、ディランは何も答えない。
しゃがれた声でこれからも歌い続けるだけだ。