じじぃの「人の死にざま_1740_ウィリアム・フォークナー(小説家)」

William Faulkner

William Faulkner (1897 - 1962)
Birth:Sep. 25, 1897
Death:Jul. 6, 1962
Author, Nobel Prize Winner. Born William Cuthbert Falkner he was the oldest child of Murray Falkner and his wife Maud Butler.
http://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?GRid=328&page=gr
『/ヒロインから読むアメリカ文学 板橋好枝/編 勁草書房 1999年発行
コンプソン家の女性史――フォークナー『響きと怒り (一部抜粋しています)
ウィリアム・フォークナーは一貫してアメリカ南部を舞台とした作品を書き続けた作家であり、彼の女性像を考えるときも、南部を切り離してとらえることはできない、背景を考えることはどの作家を考えるうえにも必要であろうが、とくにフォークナーの場合は、南部という土地柄とそのなかに生きた人びとを描くことが創作の原点である。彼は「エミリーにバラを」「エリー」「女王ありき」など。明らかに女性を中心にすえた短編も発表しているが、それらにおいてさえ、南部の歴史、社会、分化は単なる背景以上の重みをもつのである。フォークナーは伝統的な南部への強い憧れと愛着をもっており、それは彼の実生活に顕著に表れている。彼が結婚したエステル・オールダム・フランクリンは、すべての点で、南部を女性の理想といわれるサザン・ベルと呼ぶにふさわしい優美な女性であった。
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南部の女性の生き方を考えてみるときに、一つの基準となるのは伝統によって作られたサザン・ベルと呼ばれる理想の女性像である。女性は貞節で優雅さと気品をそなえ、男性の監督と保護のもとで家を整え、来客を心地よくもてなす社交性も必要であった。またピアノ、ハープ、ダンス、詩の暗唱など文化的なたしなみも求められた。このようなサザン・ベルというモデルのなかにおさめよう、またはおさまろうとするとき、そこには現実を生きる女性との間にさまざまな葛藤が生じるのである。コンプソン家の女性たちはまさにそのひずみのなかで生きなければならなかったのである。
女性を取り巻くもう一つの大きな要素は、南部の社会が強い家父長制のもとに作られていることである。このような社会にあっては女性の社会的地位は低く、その居場所は家庭に限定されていた。したがって、高い教育や社会に出るためのトレーニングもされなかった。たしかに仮定にあっては女主人として家事、育児、社交などを全般的にとりしきる中心的存在であったが、それも男性の管理のもとでのことであった。たとえば、女性は自分自身の財産さえ管理することがなく、それは身内の男性に任されていた。『響きと怒り』のなかでもジェイソンやコンプソン夫人の兄モーリーは、彼女の貯金を勝手に使用して車を購入したり、投資に利用したりしている。それに対してモーリーは、彼女を「可能な限り俗悪なる物質的社会から庇護することこそ我われの義務」であると身勝手な理屈づけをしている。このような状況のもとでは、女性の経済的自立などはほとんど不可能であったと思われる。