硬膜外麻酔と脊椎麻酔 (blogs.yahoo.co.jp HPより)
硬膜外麻酔と脊椎麻酔(脊髄くも膜下麻酔)の違い トロントから遅れて帰ってきた麻酔科医 - Yahoo!ブログ
硬膜外麻酔と脊椎麻酔(脊髄くも膜下麻酔)の違いについて、復習しておこうと思います。
http://blogs.yahoo.co.jp/motoshi470/49819019.html
アウグスト・ビーア ウィキペディア(wikipedia) より
アウグスト・ビーアは1861年にヘルゼンで生まれた。彼はドイツで一流の医師であり、後にベルリンで教授を務めた人物である。彼は脊椎麻酔の分野や、ホメオパシー療法の導入、ヘルメットの発明、体育学校の復興などの業績で知られている。
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『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』 スティーブ・パーカー/著、千葉喜久枝/訳 創元社 2016年発行
麻酔法 (一部抜粋しています)
最初のいいかげんな麻酔法は、中東と西アジアのワイン醸造所によって6000年前に偶然発見された。労働の所産を楽しんだ彼らが、適度の飲酒によって感覚が鈍くなることと、アルコールが痛みなどの刺激を弱めることに気づいたのであろう。古代の別の選択肢はケシの液汁から調合されたアヘンだった。幻覚を起こし、睡眠を誘発するアヘンの性質は古代のシュメールの碑文にも書かれており、アジアの多くの文化で生活に欠くことのできない要素となっていた。
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一方、ヨーロッパ人は独自の麻酔を作り出した。彼らが選択したガスはクロロフィルだった。1847年3月、フランスの生理学者マリ・ジャン・ピェール・フロランスがクロロフィルを吸った動物が一時的に無感覚の状態になることを示した。8ヵ月後、スコットランドの医者ジェイムズ・ヤング・シンプソンはクロロフィルの麻酔を出産時に使用した。シンプソンは当初友人の手を借りて自分の体で試していた――生き延びられたのが幸運なほど危険な実験であった。疫学と麻酔学の分野を切り開いたジョン・スノウは、クロロフィルと、後にはエーテルの安全な量を定めるのを手伝った。
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18世紀後半にはイングランドの医者トマス・ベドーが、蒸気機関の専門家ジェイムズ・ワットと、笑気ガスの発明で有名なハンフリー・ディヴィーの助けを借り、革新的なデザインの吸入器を考案した。1860年代には、麻酔薬がマスクの表面に滴ると気化する仕組みの針金製のフェイスマスクが発達した。イングランドの医師ジョセフ・トマス・クローヴィァがフェイスマスクに調整器と袋を加えた。1917年、ロンドンの聖バーソロミュー病院でヘンリー・ボイルが「麻酔器」を導入した――ガス供給器とポンプ、タンク、弁、流量計と電圧計、マスクなどの装置のついた手押し車は麻酔ガスが絶え間なく流れるのを管理し、患者の状態を監視する必要があった。ガスのチューブが気管に入れられたことで、より正確に量を調節できるようになり、1930年代にはバルビツール系チオペンタールが、静脈を通して(血液循環の中に直接)投与される最初の全身麻酔薬となった。
「気絶させる」全身麻酔薬とともに、他の麻薬も発達した。1870年代、最初の局部麻酔――わずかな範囲の感覚を取り除く――はコカインだった。コカインの毒性が発見されたことで、1905年のプロカインと1940年代のリドカインなど、より安全な「局部麻酔薬」の導入となった。局所麻酔は、腹部などのもっと広い範囲の内部深くまで無感覚にする。1890年代にはドイツの外科医アウグスト・ビーアが注射箇所から下の体の感覚をなくす脊髄麻酔を考案、さらに1940年代になると、より改良を加えた硬膜外麻酔が分娩時に主流となった。