じじぃの「人の生きざま_698_ジャン・ドーセ(免疫学者)」

白血球 (healthil.jp HPより)

ジャン・ドーセ コトバンク より
ジャン・ドーセ(Jean Dausset 1916 - 2009) フランスの血液学者,免疫学者。
フルネーム Jean-Baptiste-Gabriel-Joachim Dausset。第2次世界大戦中,自由フランス軍に参加。1945年にパリ大学卒業。ハーバード大学で学び,1959年帰国して国立輸血センター研究部長に就任。

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現代免疫物語―花粉症や移植が教える生命の不思議 岸本忠三・中嶋彰/著 ブルーバックス 2007年発行
胸腺物語 (一部抜粋しています)
1996年秋、スウェーデンカロリンスカ研究所は「MHCの拘束性」を発見した2人の科学者にノーベル生理学医学賞を与えると発表した。米テネシー大学のピーター・ドハティとスイス・チューリヒ大学のロルフ・ツィンカーナーゲルの2人だ。
1970年代の初期、T細胞が外敵を認識する仕組みの謎にとりつかれた彼らは、オーストラリアのキャンベラにあるジョン・カーティン医科大学で一緒に実験を繰り返し、外敵の認識にはMHC分子が欠かせないことを実証した。この功績が20年以上もたって評価されたのである。
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免疫の営みに欠かせないMHC分子を語る時に忘れてはいけない研究者がなお4人いる。1980年にノーベル生理学医学賞を受賞したG・スネル、J・ドーセ、B・ベナセラフの3人と残念にも受賞を逃したH・マグデビットである。彼らの業績は、MHC分子を発見し、それが遺伝とのかかわりで免疫をどのように支配しているかを明らかにしたことだ。
人間の場合、MHC分子は1950年代、白血球の表面で最初に発見された。だから人間のMHCはHLAと命名された。HLAは「Human Leukocyte Antigen」、直訳すれば「ヒト白血球抗原」だ。その発見者がドーセ。HLAの遺伝情報をおさめたHLA遺伝子は第6染色体の上にあった。
ドーセは何人も赤ん坊を産んだ経産婦や、輸血を受けた人の体内にある抗体にあることに気が付いた。妊娠時には胎児の白血球が母親の体内に入る。胎児の白血球の上にあるMHC分子の半分は父親から引き継いだものなので、母親の免疫には他人に見える。また輸血の際にも、他人の白血球がやはり体内に入る。他人の白血球は生体の方から見るともちろん遺物だ。
異物を発見した免疫は、それを攻撃する抗体をB細胞に作らせる。ドーセが発見したのは、こうして誕生した抗体。そして彼は、その交代に着目して人間の白血球の型を分類する方法を考案したのである。
生命科学の世界では、多くの場合、人間より先に、哺乳類の仲間のネズミで実験が行われる。スネルは近親交配を重ねて遺伝的に全く同一の純系のネズミを多数作り出し、その比較からネズミのMHC分子を見つけ出した。ネズミの場合、MHC遺伝子は「H2抗原遺伝子」と呼ばれた。
ベナセラフとマグデビットの功績は1970年代半ばに純系のモデル動物を作って、「免疫応答遺伝子」と呼ばれた遺伝子を発見したことだ。
外部から病原体が侵入した時、免疫はこれを排除しようとする。だが、その営みの仕方や程度は個体によって違いがある。例えば人間の場合、春先に花粉が大量に空気中に飛散して、鼻の孔に侵入しても、花粉症に苦しむ人と平気な人がいる。このように免疫反応が個人で異なるのは、人それぞれが、違った免疫応答遺伝子を持つからだ、と考えられた。
免疫応答遺伝子と呼ばれた遺伝子は後に、マクロファージのような免疫細胞にあるクラスⅡのMHC分子の姿を決める遺伝子であることが判明する。