じじぃの「科学・芸術_40_異端者ペラギウス」

ペラギウスとアウグスチヌス

異端者ペラギウス−信仰と生活の一致を目指して− 2014年02月27日 村の小さな教会
ペラギウスは、アウグスティヌスといわゆるペラギウス論争を闘わせた人物として有名である。
しかし同時に彼は“異端者”でありながら、アウグスティヌス以上に後世に影響を与えたといっても過言ではない。ヴァン・ティルによれば、ペラギウスから始まった原罪否定は近代の哲学者たちに好んで受容され、その系譜にはカント、シュライエルマッハー、リッチュルらが名を連ねているという。
ペラギウスは罪とは行いに現れるものであるとし、目に見えない原罪を否定した。その意味で、ペラギウスを異端ではないと言い切ることはできない。しかし彼は人間が罪を犯さないためにはキリストの十字架と信仰が必要であると説いた。
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『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』 立花隆/著 文春文庫 2003年発行
日清戦争、Dr.キリコ、怪鳥ロック (一部抜粋しています)
ペラギウスの「デメトリアスへの手紙」が読みたくて、上智大学中世思想研究所編訳・監修『中世思想原典集成4 初期ラテン教父』(平凡社)を買った。1200ページを超える大冊の中で、ペラギウスのものは、わずか50ページだが、日本語で読めるペラギウスはこれがはじめてである。
ペラギウスは、初期キリスト教会を確立した教父、アウグスチヌス最大の論争相手で、カルタゴ教会会議で異端とされ、破門されたため、その文献もほとんど伝わっていない。
論点は多岐にわたるが、最大のものは人間の自由意志の問題である。ペラギウスが、人間は自分の自由意志によって、悪を選ぶことも善を選ぶこともでき、自分の力で有徳な人間いなれるとしたのに対して、アウグスチヌスは、人間は生まれながらに原罪を持つ存在であるから、神の恩寵によってはじめて原罪から逃れ、神の選んだものだけが善の道に入り有徳者となれると説いた。人間がどこまで自由意志を持てるのかという論争は、その後もキリスト教の中で形を変えながら、延々とつづいているが、その原型はここにある。
ペラギウスは、アダムの犯した罪が全人類に及んで人が死ぬようになったという原罪の教義を否定し、幼児洗礼によって子供も原罪を逃れることができるという教義も否定した。キリスト教以前はもちろん、キリスト教以後の異邦人の間でも、良心によって正義と善行を選びとり、正しい生涯を送った人は沢山いると主張した。今から考えると、ペラギウスの考えのほうがずっとまともである。