じじぃの「科学・芸術_32_ダ・ヴィンチ・コード」

ダ・ヴィンチ・コード - 予告編 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a8a2KhFbz_o

Mary of Magdala

映画【ダ・ヴィンチ・コード】公開記念 マグダラのマリアを巡る旅
閉館後のルーブル美術館で館長が殺される。
ダ・ヴィンチの有名な「ウィトルウィウス的人体図」を模して横たわる館長。死体の周りに残された、不可解な暗号。
暗号にその名前が出てきたことから、犯人扱いにされ、 事件に関わることになった米国の宗教学者トム・ハンクス)と、 館長の孫にあたるフランス人女性(オドレイ・トトゥ)が、 彼のメッセージを読み解くうちに、キリスト教をめぐる歴史的な陰謀に巻き込まれていく…という物語。
http://euro.navi-club.jp/?eid=252868
『面白いほどよくわかる 世界の秘密結社』 有澤玲/著 日本文芸社 2007年発行
今や、世界じゅうに知れ渡った「シオン修道会」 それは、仲良しグループの”お遊び”から始まったのか?
ダン・ブラウンが2003年に発表した小説『ダ・ヴィンチ・コード』のおかげで全世界に知れ渡った秘密結社、シオン修道会。この結社がたどった歴史は、虚構が雪だるま式に膨れ上がり、新たな”神話”を生み出したという点で非常に興味深い。
ダ・ヴィンチ・コード』や、関連する文献によれば、シオン修道会は中世の1099年に創設されたということになっている。だが、残念なことに事実ではない。
シオン修道会が実際に設立されたのは、1956年の6月25日、場所は、フランス東部の高サヴォワ県に位置するアンヌマス。国境を越えれば、すぐにスイスのジュネーブへとたどり着ける町だ。
設定を主導したのは”秘密結社オタク”のピエール・プランタール。ただし、総裁に推されたのは、A・ボノムという人物である。
もっとも、当初は全部で4名しか会員がいなかったという。後に、インタビューを受けたボノムは、仲の良い友だち同士で結成した”お遊び”の団体だったと証言している。
この”お遊び”が奇妙な方向へと変質していって本領を発揮するようになるのは、1960年代まで待たなければならない。
そして、『ダ・ヴィンチ・コード』が生まれた…… 新たな”神話”の定着へと至った経緯と心理
シオン修道会の謎を解き明かしたと”される”リンカーンらの著書『聖血と聖杯』は、欧米でミリオンセラーになった。そして、フィクションたると、ノンフィクションたるとを問わず、数え切れないほど多くの文献を次からつぎへと生み出すことになったのだ。
たとえば、初期の作品としては、イタリアのウンベルト・エーゴが1988年に発表した長編小説『フーコーの振り子』。3人の主人公が架空の秘密結社を構築して、独自の世界史を紡ぎだす”知的な遊戯”にふける。ところが、その秘密結社が現実の世界に現われ、自分たち自身を経滅に追い込むという意味深長なストーリーだ……。
このような状況に辟易(へきえき)したのか、創始者プランタールは1989年4月、シオン修道会に関する前言をすべて撤回した。リンカーンも『聖血と聖杯』の内容は単なる”仮説”に過ぎないと、たびたび強調している。
しかし、耳を貸す者は少なかった。人びとはイエス・キリストマグダラのマリアの婚姻や、聖なる血統を守ってきた秘密結社に隠されたミステリーなどといった衝撃的な物語に、すっかり夢中になっていたのだ。それは、新たな”神話”の始まりだった。最終的には、この神話が『ダ・ヴィンチ・コード』を誕生させることになったのである。