じじぃの「科学・芸術_28_世界最古の地震計(中国・張衡)」

張衡地動儀 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=FDd83wj_sC0
張衡と地震

張衡 (科学者) ウィキペディアWikipedia) より
張 衡(ちょう こう、78年 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。
【経歴】
30歳くらいで、天文を学び始め、「霊憲」「霊憲図」「渾天儀図注」「算網論」を著した。彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。順帝の時代の宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。文学作品としては他に、「帰田賦」、「四愁詩」、「同声歌」がある。
張衡は力学の知識と歯車を発明に用いた。彼の発明には、世界最初の水力渾天儀(117年)、水時計、候風と名付けられた世界初の地動儀(132年)、つまり地震感知器などがある。地動儀は500キロメートル離れた地点の地震を感知することができた。
そのほか、彼は円周率も計算し、2500個の星々を記録し、月と太陽の関係も研究した。著書の「霊憲」において月を球形と論じ、月の輝きは太陽の反射光だとした。

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『図説 地震と人間の歴史』 アンドルー・ロビンソン/著、鎌田浩毅、柴田譲治/訳 原書房 2013年発行
地震学の始まり (一部抜粋しています)
地震学は新しい科学として18世紀中頃に誕生した。ちょうどこの時代にロンドンで地震が起き、王立協会が調査報告書を発表する。1755年にはリスボン地震が起き、ポルトガル政府の質問票に対し、被害を受けた教区から回答が寄せられていた。
そして何より1760年には天文学者ジョン・ミッチェルによる地質学の論文が王立協会から発表された。
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最古の地震計はおよそ2000年前の古代中国まで遡ることができる。紀元後132年、天文学者で数学者の張衡(ちょうこう)によって発明された。張衡の装置は8匹の龍の頭が方位磁石の8方位に配置されている。この龍は直径およそ2mの酒瓶に似た装飾用容器の外側に頭を下にしてあしらわれている。瓶の底のまわりには龍の頭の真下に8匹のカエルが口を開けて座っている。地震が発生すると、青銅の玉がいずれかの龍の口からこぼれてカエルの口に落ち、カンカンと響く。複数の玉が落下するような複雑な揺れでなければ、震源の方向は玉がどの龍から落ちたかによっておおよその見当がつく。
張衡の地震計の内部の仕組みはわかっていない。しかし19世紀と20世紀の地震学者らはその仕組みを推測し、動作する模型まで製作した。正確な仕掛けはともかく、基本的な地震検出器として、なんらかの振り子が組み込まれていたはずで、その振り子の動きがレバーに連動して青銅の玉を落とす仕組みだったのだろう。
地震計の仕組みはともあれ、中国史を綴った『後漢書』(後漢朝についての歴史書)によれば、紀元後138年張衡はこの地震計の反応から、当時の中国の首都洛陽から北西に650km離れた隴西で大きな地震があったと発表した。早馬を駆って使者が震災のニュースを届けたのはそれから2、3日後のことだった。地震の発生を正しく示せたことで、この地震計の有効性を訝(いぶか)っていた人々の信頼も取り戻すことができ、張衡はこの装置の監視役を任命するよう朝廷に上申すると、この役目はその後400年間存続した。