じじぃの「人の死にざま_1762_マーティン・ライル(天文学者・電波干渉計)」

2 TODAY IN HISTORY Birthday of Radio Astronomer Sir Martin Ryle 27 Sept 2010 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bgd6j2Z1mPU
Martin Ryle

 電波干渉計 (vsop.isas.jaxa.jp HPより)

干渉計 (interferometer)
複数の電波望遠鏡をつないで、それぞれの観測データを合成する観測設備です。
簡単のため、2つのアンテナを組み合わせた干渉計を考えます。
2つのアンテナで観測された波がピッタリ重なる(=干渉する、相関する)ときの時間差を測定することによって、その天体がどちらの方向にあるかを知ることができます。
http://wwwj.vsop.isas.jaxa.jp/yougo/k02_interferometer.html
マーティン・ライル ウィキペディアWikipedia) より
マーティン・ライル(Sir Martin Ryle, 1918年9月27日 - 1984年10月14日)はイギリスの天文学者。1974年に「電波天文学における先駆的研究」により、アントニー・ヒューイッシュとともに天文学分野の研究者として最初のノーベル物理学賞受賞者となった。

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『巨大ブラックホールの謎 宇宙最大の「時空の穴」に迫る』 本間希樹/著 ブルーバックス 2017年発行
新しい目で宇宙を見る――電波天文学の誕生 (一部抜粋しています)
ピンボケ写真しか撮れなかった電波天文学を劇的に変えたのが、電波干渉計です。干渉計とは、小さな望遠鏡を多数並べて、それを組み合わせることで、大きな電波望遠鏡と同等の機能を合成する手法です(図.画像参照)。θ〜λ/D(分解能θは電磁波の波長λを望遠鏡の口径Dで割った値にほぼ等しい)の式で観測波長λを固定してしまうと、視力を上げるには(θを小さくするには)、望遠鏡の口径Dをできるだけ大きくするしか方法がありません。しかし、大きな望遠鏡は構造物としても高い技術が必要ですし、加えて、莫大な予算も必要です。実際、地球上で可動式の電波望遠鏡はもっとも大きいものでも100メートル程度が限界です。この限界を工夫によって打ち破るのが干渉計、ということになります。
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現代の形の電波干渉計を開発して、電波天文学を大きく進歩させたのは、イギリスのマーティン・ライルら、ケンブリッジ大学大学のキャベンディシュ研究所のグループです。ライルは第二次大戦中、英国軍で電波による通信の研究をしていましたが、大戦後はケンブリッジ大学で電波天文学の研究を進めました。豪州シドニー郊外ドーバー・ハイツ(のアンテナ)の場合も、またマーチン・ライルの場合もそうですが、電波天文学が第二次大戦後劇的な進歩を遂げた理由には、第二次大戦中に競ってレーダー技術の開発を進め、大戦終了後にその技術が電波天文学に広がったことと大いに関係しています。
ライルたちは複数のアンテナからなる電波干渉計を開発し、それを使って電波天体のカタログを作りました。天球のさまざまな方向を観測し、見つかった電波源の位置と電波の強さをリストしていったのです。もちろんその目標は、これらの電波を出す天体が何か、という謎を解くことです。ジャンスキーやリーバーの観測から、天の川から電波が出ていることはわかっていましたが、それ以外の方向からやってくる電波天体がどのようなものなのかは、まったく不明でした(ちょうどオーストラリアで海面干渉計の観測が進められているころです)。彼らの作ったカタログはケンブリッジカタログと呼ばれ、第1版が1Cカタログ、第2版が2Cカタログ、第3版が3Cカタログというように、順を追って数字+ケンブリッジの頭文字の”C”を合わせた名前で呼ばれています。1Cカタログは1950年に出版され、記載された天体数はわずか50個程度でした。それが5年後の2Cカタログ、さらに1959年の3Cカタログへと改訂されると、3Cカタログでは471もの電波天体がリストアップされました。また、この過程で天体の干渉計で1分角くらいの精度で決められるようになり、ブラックホールの研究につながる大きな発見がなされていきます。