じじぃの「人の死にざま_1695_張儀(中国戦国時代の弁論家)」

今にいかせ 始皇帝本紀・第20回、張儀の策略がトントンと進んでいく。 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Zdg0L8c9ags
張儀 ウィキペディアWikipedia) より
張儀(ちょうぎ、? - 紀元前309年)は、中国戦国時代の弁論家、政治家。魏の人。蘇秦と共に縦横家の代表的人物とされ、秦の宰相として蘇秦の合従策を連衡策で打ち破り、秦の統一に貢献した。

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『数学嫌いな人のための数学―数学原論 小室直樹/著 東洋経済新報社 2001年発行
蘇秦張儀韓非子にみる中国の論争技術 (一部抜粋しています)
日本人と違って中国人は、論争、討論、説得を極めて重んずる。学んで雄弁の術を極めれば、歴史上には目も眩(くら)むほどの立身を遂げたという例は枚挙に暇(いとま)がない。遊説の士を引き立てる君主の側でも、有能な人を首相にして有効な政治を行えば、思いもかけなかったほどの富国強兵も可能である。いずれも、論争、討論、説得を鍵に行われる。ゆえに、日本とは違って、論理は極度に発達した。
しかし、後述するようにギリシャのような形式論理学にまでは発達しなかった。発達したのは、揣摩憶測(しまおくそく)の論理、情誼(じょうぎ)をたかめる論理であった。
この発達させた「論理」と形式論理学の違いは、どこからきたのか。
それほどまでに論理好みの中国社会といえども、究極的に発達した形式論理学には馴染まなかったからである。とはいっても、論争好みの中国人がどれほど論理を重んずるか、日本人には遠く想像も及ばない。しかし、その論理たるや、形式論理学とは別物である。
春秋戦国時代(前770〜前221年)の事例を取り上げてみたい。
この時代、中国は、多くの国々に分かれて戦争をしあっていた。各国の君主(王様や諸侯)は、優れた人材を選りすぐって大臣に抜擢して功行を競わせた。人材を得た国は栄え、人材を失った国は亡びる。この点は日本の戦国時代と同じことであった。
人民のほうでも、抜擢してもらって大臣や将軍になって活躍するために、争って他国へ赴いた。この時代は、階級社会であって、幾重もの上下の階級に分かれ、下には貧困を極めた庶民も多くいた。その最下層の庶民にも、戦国時代になると大抜擢されるチャンスも生まれたのであった。
日本でも、戦国時代には、足軽(最下級武士)にも大名になるチャンスがあった。ここまでは中国と同じであったが、日本では、槍一筋に生きて立身することはあっても、弁論で重く用いられるということはなかった。どんなに弁論に優れていても、口先者にすぎないと軽侮(けいぶ)されるのがオチであった。
この点、中国は違った。かの張儀(ちょうぎ)は、鬼谷先生の下で雄弁術を学んだが、はじめ散々に失敗して帰った。彼の家は、「本を読んだり遊説なんかおやめなさい。こんな恥をかくこともないじゃありませんか」と語った。
張儀は妻に向かい、「オレの舌をよく見ろ、まだあるか」と言った。妻は答えて、「まだ、あります」と言った。張儀は、「それで十分だ」と答えた。有名な話である(紀元前91年頃完成したといわれる司馬遷史記』全130巻の中の「張儀列伝第10」)。
「舌さえあれば何とかなる」とは、戦国時代の日本では通用しない命題(文章)であるが、戦国時代の中国では立派に通用した。舌があれば説得できる。権力者を説得すれば立身する(有利な就職をする)可能性が残されている。
この可能性を常に念頭に残しておくところに中国における倫理の特徴がある。
名もなく貧しい者が、揣摩(しま)の術(君主の心を見抜き、思いのままに操作する術)を案出して目も眩(くら)むほどに出世して名声を轟かせた原型としては、この張儀蘇秦が有名である。そして、彼らのような人々は、その後も輩出した。
蘇秦張儀の弁論術は、君主の心を揣摩して論争を仕掛けてこれを説得する。説得に成功すれば、驚くほどの栄誉と権力が授けられる。『史記』における例は日本人の想像を超え、目も眩むばかりである。しかし、説得を聞いてくれる人を発見することは困難である。ともかくも聞いてくれる人を発見できたとしても、説得に成功することは困難であり、失敗すれば、辱(はずかし)めを受け、あるいは刑罰を受け、あるいは殺される。
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張儀は、はじめ蘇秦とともに鬼谷先生に学んだが、蘇秦さえも張儀には敵(かな)わないと認めていた。張儀は、それほどの討論の達人である。蘇秦が雄弁の秘術を駆使して成立させた合従(がっしょう)を、張儀は独自の説得力で解体させ、秦を盟主とする連衡(れんこう)を作り上げた。
その後、「合従連衡」といえば、2500年にもわたって、国際政治における巧妙な術策(やり方)を表す用語となっている。また「張儀蘇秦の術」とは、説得術の極限を表す術語となっている。彼らの討論術はそれほど卓絶していたのである。