じじぃの「人の死にざま_1698_韓非子(中国戦国時代の思想家)」

自相矛盾 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=filmW6XB07c
韓非子 コトバンク より
韓非子(かんぴし、? - 紀元前233年)は中国、戦国時代末期の韓の思想家。法家。
子は敬称、またはその著書をさすのに用いる語。韓の弱体に発奮して法家思想をきわめた。荀子に学び、申不害、慎到、商鞅らの法家思想を大成。荀子性悪説を人性利己説に徹底させ、また老子無為自然説を君主の絶対権力の理論と臣下操縦術に実用化し、儒学の礼楽による徳治を退け、法律、刑罰を絶対化し、信賞必罰を説き、富国強兵と中央集権強化をはかった。

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『数学嫌いな人のための数学―数学原論 小室直樹/著 東洋経済新報社 2001年発行
韓非子の「矛盾」とアリストテレスの「矛盾」は矛盾する (一部抜粋しています)
中国の「論理学」も戦国時代(前770〜前221)には、絢爛豪華な発展を遂げたが、形式論理学のような完成を遂げなかった。
「矛盾(むじゅん)」という言葉を作ったのも、中国最高の論理学者韓非子である。
ある時、韓非子のところへ楚の国の人が来て、「自分の矛(ほこ)はどんな盾(たて)をも破ることができ(命題 a)、また、自分の盾はどんな矛でも防ぐことができる(命題 b)と誇っていた。このうえなく見事な矛と盾かと思いきや? 韓非子は笑って反論して、「その矛でその盾を衝いたらどうなるのか。貫(つらぬ)けるのか貫けないのか」と言った。件(くだん)の矛と盾を持ってきた人は答えられなかった。
これが、「矛盾」という言葉(概念)の起こりである。
これをはじめとして、中国の論理学でも、人々は、矛盾という言葉を使うようになった。これにならって、日本人も、矛盾、矛盾撞着なんていう言葉を使うようになった。
しかし、この「矛盾」は、アリストテレス形式論理学の矛盾(contradiction)と同じことなのだろうか?
韓非子の矛盾とアリストテレスの矛盾、同じか違うか。ここが論理学理解の関門である。完全に分かるまで、自分の頭でよく考えよ!
十分によく、とっくりと考えていただきたいところではあるが。が、先を急ぐ。仕方がない答えてしまおう。昔なら、きちんと紙に書いて、虎の絵を描き添えて、桐りの箱に入れてすごく勿体(もったい)ぶって、手渡すところではある。
今はそうはしないが、軽々しくは読まないように。
 この矛はどんな盾でも貫く   ・・・命題 a
 この盾はどんな矛でも貫けない・・・命題 b
命題 aと命題 bとが、両方とも真(正しい、成り立つ)ことはあり得ない。
韓非子の言うとおりである。
しかし、命題 aも命題 bも、両方とも偽である(正しくない、成立しない)ことは、あり得るか? あり得ないか? よく考えてみて下さい。あなた自身で。
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2つの命題があって、両方とも真であることはあり得ない。しかし、両方とも偽であることはある得る。このとき、両命題は、反対(contrariety)という。
形式論理学は、反対と矛盾(contradiction)とを区別する。
中国の韓非子の「論理学」では、「反対」をも「矛盾」と呼んで区別しない。形式論理学では、「反対」をも「矛盾」とを区別しないことによって混乱を生ずると警告を発している。