じじぃの「人の生きざま_675_森田・浩介(実験核物理学者・ニホニウム)」

「113番元素」名前の案“ニホニウム”に 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UfefN63jwy8
森田浩介(理研)の出身高校や大学は?結婚や嫁と子供が気になる! 2016年6月8日 tanakaの日記
森田浩介wiki風プロフィール!
名前:森田浩介(もりた こうすけ
生年月日:1957年1月23日
年齢:59歳
出身地:福岡県北九州市若松区
趣味:旅行、酒
職業:九州大学教授、理研のチームリーダー(准主任研究員)
http://tanaka-diary.com/4973.html
文藝春秋 2016年9月号
「数字の科学」日本が生んだ元素 【執筆者】佐藤健太郎 (一部抜粋しています)
去る6月7日、森田浩介教授(現・九州大)のグループが作り出した113番元素の名称として「ニホニウム」という案が発表された。元素とは、これ以上分けることのできない、この宇宙の根源的な構成要素だ。アジア発の元素はこれが初めてであり、科学史に永遠に刻まれる偉業といえる。
日本の名が元素名として提案されたのは、これが初めてではない。1908年、小川正孝教授が発見したとし、ニッポニウムの名を提案したが、間違いとわかり取り消されているのだ。森田教授は、小川教授の無念を1世紀ぶりに晴らしたことになる。
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ニホニウムを作るためには、83番のビスマス原子核に、30番目の亜鉛原子核をぶつけて合体させる――と書くのは簡単だが、そこには実に途方もない努力が積み重ねられている。原子番号が大きくなるにつれ、原子核は不安定になるためだ。風船を大きく膨らませるほど、破裂しやすくなるのに近い。安定に存在できる限界は82番の鉛までで、そこから先は一定の寿命で原子が壊れていってしまう。
113番のニホニウムともなると恐ろしいほど不安定で、寿命はわずか千分の2秒ほどしかない。この一瞬を捉えるため、森田教授は自前で装置の設計から始め、2003年に実験を開始。毎秒2.5兆回の衝突を繰り返し、丹念にデータを解析する日々が続いた。
こうして2004年に初めて113番元素が確認されたが、これだけでは不足であった。きちんとデータが再現し、理論と整合することが確かめられて、初めて世界に世界に認められる。海外チームとの競争も激しかったが、わずかな疑義を挟む余地もない見事なデータを9年がかりで揃えた森田チームに、科学の女神はほほ笑んだ。