じじぃの「新元素(104〜112)命名のお話・113元素は?スプーンと元素周期表」

サイエンスZERO〕祝!命名権獲得 113番元素はこうして作られた〔Science Zero〕 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=k3Njxj2J61I
Copernicium - Periodic Table of Videos 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QHcbQfcwegY
Glenn Seaborg(1912-1999)

日本初の元素誕生 名前はどうなる?

グレン・シーボーグ ウィキペディアWikipedia) より
グレン・セオドア・シーボーグ(Glenn Theodore Seaborg、1912年4月19日 - 1999年2月25日 )は、アメリカの化学者、物理学者。ミシガン州イシュペミング生まれ。カリフォルニア大学バークレー校の教授、研究者。超ウラン元素の合成および研究の功績により、1951年度のノーベル化学賞エドウィン・マクミランとともに受賞した。
シーボーグの名前にちなんで、原子番号106の新元素はシーボーギウムと名づけられた。生存中の人物にちなんで名付けられた元素は、これが唯一である。

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サイエンスZERO 「祝!命名権獲得 113番元素はこうして作られた」 (追加) 2016年3月13日 NHK Eテレ
【司会】竹内薫 (サイエンス作家)、南沢奈央 (女優) 【ゲスト】森田浩介九州大学大学院理学研究院物理学部門教授)
去年の大晦日、科学界にビッグニュースが飛び込んできた。周期表で113番目の元素の命名権が、理化学研究所のグループに贈られたのだ。これはアジア初となる快挙。
原子番号30番の亜鉛と、83番のビスマスを衝突させ、核融合させることで原子番号113番となる新元素が誕生した。
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2015061918SA000/
『スプーンと元素周期表 サム-キーン/著、松井信彦/訳 早川書房 2015年発行
表の拡張、冷戦の拡大 (一部抜粋しています)
1950年、《ニューヨーカー》誌のゴシップ欄的な「街の話題」に次のような一風変わった記事が掲載された。
 新しい原子が、不安になるほどとは言わないまでも、驚異的なペースで姿を現している今日このごろ、97番および98番元素を発見した科学者を擁するカリフォルニア大学バークレー校は、この2つをそれぞれバークリウムおよびカリホルニウム命名した。……われあれに言わせれば、この名前には広報的な深慮が驚くほど欠けている。……忙しく働くカリフォルニアの科学者はいずれまた新しい原子の1個や2個を発見するに違いないであろうに、同大学は……ユニバーシティウム(97)、オフィウム(98)カルホルニウム(99)、バークリウム(100)のような並びをもって、自校の不朽の名声を元素周期表に刻み込む機会を永遠に逸したのである。
グレン・シーボークとアルバート・ギオルソ率いるバークレー校の科学者たちも負けじと、あの命名の陰には実に天才的な読みがあり、「97番めと98番め『ユニバーシティウム』と「オフィウム」と名付けたところへ、ニューヨーカーの誰かが99番めと100番めを発見して『ニューイウム』と『ヨーキウム』と名付けるという、空恐ろしい可能性」を回避したのだと返した。
この切り返しに《ニューヨーカー》誌のスタッフはこう応えている。「われわれは『ニューイウム』と『ヨーキウム』に当社のオフィス実験室ですでに取り組んでいる。今のところできているのは名前だけだが」
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1995年、9賢人は最終的に104〜109番元素の仮の公式名を発表した。この妥協案はドゥプナとダルムシュタット(西ドイツのグループの本拠地)のチームを喜ばせたが、バークレーのチームはシーボーギウムがリストから削除されているのを見て激怒した。彼らは記者会見を開き、要は「勝手に言ってろ。アメリカじゃこっちを使うからな」と言った。さらに、世界中の化学者が掲載をのボム近医ある化学誌の発行元でもある、影響力の強いアメリカの化学団体がバークレーのチームを支持した。このことが外交的な状況を変え、9人は屈した。1996年に発表された、「好むと好まざるとにかかわらずこれが最終版」というリストでは、現在の表に載っている公式名のとおり、106番めがシーボーギウムとなったほか、ラザホージウム(104)、ドブニウム(105)、ボーリウム(107)、ハッシウム(108)、マイトネリウム(109)のように定められた。勝利を収めたあと、かつて《ニューヨーカー》誌にその欠如を批判された広報的な深慮をもって、バークレーのチームは大きな周期表の横に染みの目立つシーボーギウムを立たせ、節くれ立った指でなんとなくシーボーギウムを指し示したところで写真を撮っている。この優しい微笑みからはこうした騒動のことは窺えない――最初の祝砲が鳴ったのは32年も前のことで、苦い想いは冷戦が終わっても続いていたのだが、シーボーグはその3年後に亡くなった。
だが、この手の話はきれいに終わらないものである。1990年代のバークレー校化学科は勢いを失っており、ロシアのチームや、特にドイツのチームのあとをやっとのことで追っていた。ドイツのチームは、1994年から96年という驚異的な短期間のうちに、彼らの本拠地ダルムシュタットにちなんで今ではダームスタチウム(Ds)と呼ばれている110番元素、偉大なドイツ人科学者ヴィルヘルム・レントゲンにちなんでレントゲニウム(Rg)と名付けられた111番元素、そして2009年6月にコペルニシウム(Cn)として周期表に加えられた最新元素である112番元素を相次いでつくり出した。こうしたドイツ人の成功があればこそ、バークレーのチームが過去の栄光をあれほど執拗に守ろうとしたのだ、ということに疑いの余地はない。歓喜に浸れる見込みがその先なかったのだ。それでも、没落を拒んだバークレーのチームは巻き返しを図った。1996年にヴィクトル・ニノフという若いブルガリア人――110番および112番元素の発見に貢献していた――を遠くドイツから招き入れ、歴史あるバークレー校の研究計画を刷新しようとしたのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ソ連アメリカの冷戦時代は、軍事と宇宙開発競争の時代であったが、新元素の発見でも競っていた。
106番元素に名付けられた「シーボーギウム」はグレン・シーボーグの名前に由来する。すべての元素の名前で、生存中の人物にちなんで名付けられた元素はこれが唯一である。
とか、本に載ってました。