じじぃの「人の生きざま_654_リチャード・ドーキンス(進化生物・動物行動学者)」

戦闘的無神論 動画 TED
https://www.ted.com/talks/richard_dawkins_on_militant_atheism?language=ja

リチャード・ドーキンス ウィキペディアWikipedia)より
クリントンリチャード・ドーキンス(Clinton Richard Dawkins, 1941年3月26日 - )は、イギリスの進化生物学者・動物行動学者である。The Selfish Gene(『利己的な遺伝子』)をはじめとする一般向けの著作を多く発表している。存命の一般向け科学書の著者としてはかなり知名度の高い一人である。
【概説】
文化の伝播を遺伝子になぞらえた「ミーム」という語を考案した。スティーヴン・ジェイ・グールドとの論争でも知られる。この論争は社会生物学を受容するグループと拒絶するグループの象徴となったが、二人は創造論に対しては共闘関係にあった。熱烈な無神論者、反宗教主義者、懐疑主義者、ダーウィニストとして知られ、世俗的ヒューマニズムブライト運動、科学的合理主義の推進者でもある。2004年にプロスペクト誌が行った「イギリスの知識人100人」で首位に選ばれた。2006年の著書『神は妄想である』は2007年11月の時点で英語版の売り上げが150万冊に達し、31ヵ国語に翻訳された。今日、彼の著書の中で最も有名な一冊となった。
リチャード・ドーキンス 『悪魔に仕える牧師 なぜ科学は「神」を必要としないのか』 垂水雄二訳、早川書房、2004年4月23日。ISBN 4-15-208565-7。
リチャード・ドーキンス 『神は妄想である 宗教との決別』 垂水雄二訳、早川書房、2007年5月26日。ISBN 978-4-15-208826-0。
リチャード・ドーキンス 『進化の存在証明』 垂水雄二訳、早川書房、2009年11月21日。ISBN 978-4-15-209090-4。

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『死なないやつら』 長沼毅/著 ブルーバックス 2013年発行
遺伝子からみた生命 より
「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」と主張して一世を風靡したドーキンス出世作となった著作は『利己的な遺伝子』というタイトルでした。しかし、このネーミングは誤解を招きやすく、あまり適切ではなかったのではないかと私は考えています。
この言葉には、まるで遺伝子が「意思」というものをもっているかのような印象があります。生物が自分にとって都合のいい「乗り物」になるように、遺伝子自身が「目的意識」をもって突然変異を起こしている――そんなイメージを想起させます。
しかし、ドーキンスは決してそのようなことを述べているわけではないのです。むしろ、生物の設計にはどんな「デザイナー」も存在せず、進化とは「偶然の積み重ね」であることを、ドーキンスはさまざまな著作を通じて力説しています。
しかも、このタイトルには別の意味でも疑問があります。たしかに「乗り物」にされている私たちからみれば、遺伝子が「自分」の都合を最優先して、私たち「乗り物」を二の次にしているのは勝手だと思いたくなります。しかし、うまく生き延びることができる遺伝子は、実は決して「利己的」ではないのです。むしろ「協調性」のある遺伝子のほうが、より生き延びやすいようなのです。
ドーキンスもそのことをわかっていたので、本当は「協調的な遺伝子」といったタイトルにしたかった、という話も聞いたことがあります。
とはいえ「遺伝子に協調性がある」というのは、私たちにはにわかに想像しがたい話です。いったい遺伝子の協調性とは、どのようなものなのでしょうか。

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『好奇心の赴くままに ドーキンス自伝I 私が科学者になるまで』 リチャード ドーキンス/著、垂水雄二/訳 早川書房 2014年発行
来し方を振り返る より
利己的な遺伝子』の出版は、私の人生の前半生の終わりを記すものだから、ここは立ち止まって、振り返ってみるのにふさわしい場所である。私はたびたび、アフリカで過ごした子供時代が生物学者になるように導いたのではないかと尋ねられる。そうですと答えたいところだが、確信がない。初期の歴史におけるなにか特定の偏向によって、人の一生の進路が変わったかどうか、どうしたらわかるというのだ? 私には、普通に目につくと予想されるあらゆる嗄声動物の名前を言うことができる訓練を受けた父と母がいた――そして二人ともつねに、実在の世界についての子供の好奇心を満たそうとしたがった。これは私の人生にとって重要だったか? イエス、まちがいなくそうだった。
私が8歳のときに家族はイギリスに渡った。もしこれがなければどうだったろう? 11歳のとき、私はマールボロ校ではなく、オーンドル校に行かされた。この気まぐれな変化が私の将来を決定したのだろうか? どちらも男子校だった。心理学者なら、もし私が男女共学の学校に行っていれば、社会的にもっと順応した人物になっていただろうと言うかもしれない。私はオックスフォード大学になんとかもぐりこんだ。たぶんぎりぎりで通ったのだろうが、もし落ちていたらどうなっていただろう。もしニコ・ティンバーゲンの個別指導を受けなかったとしたら、したがって、動物行動学ではなく、当初の計画通り生化学で博士研究をしていたらどうだったろう? まちがいなく、私の人生は異なったものになっていたことだろう。おそらく、私は本など書いたりしなかっただろう。
しかしひょっとしたら、人生には、何か磁石のように人や物事を引き戻すものがあって、一時的な逸脱があったとしても、一つの道筋に収斂していくという傾向があるかもしれない。生化学者として、そのときにはもう少し分子的な方向への傾斜が強くなっているとしても、最終的には私は『利己的な遺伝子』に至る道に戻っていったかもしれない。ひょっとしたら、その道の引力は、私の十数冊の著作すべてについて、(今度も生化学へ傾斜した)変形版を書くように導いたかもしれない。正直、それはどうかなという気持ちだが、「その道に戻っていく」という考え方全体は、興味がないわけではない。それについては、……まあ……いずれ戻るつもりである。
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ミスター・ダーウイン(けっしてサー・ダーウインではない、わが英国の叙勲制度へのなんというすばらしい告発だろう、これは)、この最後の一文は、世界一の控え目な発言として賞を勝ち取るべきだ。ミスター・ダーウイン、あなたはあらゆる時代を通じて、もっとも偉大な推論家の一人であり、もっとも偉大な説得者の一人なのに。
私はすぐれた観察家でない。そのことを自慢しているわけではないし、一生懸命努力はしているのだが、私は父や母が望んでいたナチュラリストではない。私には忍耐心が欠けているし、特定の動物や――私の育てられ型の特権の一つにもかかわらず――植物のグループについて、くわしい知識をもっているわけではない。私は英国でふつうにみられる小鳥のさえずりは5、6種しか知らないし、夜空に浮かぶ星座の数も、野生植物の科の数も、やはり半ダースほどしか知らない。動物界の門、網、目(もく)についてはもう少しよく知っている――オックスフォード大学で動物学を学んだのだから、当然知っているべきなのだ。というのも、ほかの大学はどこでも、この学問に対してこのような古典的アプローチに力を入れていないからだ。
証拠の示すところによれば、私はほどほどに有能な説得家であるらしい。言うまでもないことだが、私が説得する題目は、ダーウインのそれに比べれば、取るに足らないものである――おどろくべきことに、ダーウインその人の見出した真理を人々に説く仕事をいまだに終えられずにいるという意味ではどうかなと言わざるをえないが――、私は現在のダーウインのブドウ畑で働く労働者の一人にすぎない。