じじぃの「人の死にざま_1696_ヴァルトゼーミュラー(地理学者・世界地図)」

Waldseemuller map From Wikipedia

マルティン・ヴァルトゼーミュラー ウィキペディアWikipedia)より
マルティン・ヴァルトゼーミュラー(Martin Waldseemuller, 1470年頃 - 1520年3月16日)は、ドイツの地理学者。
1507年にマティアス・リングマン (Matthias Ringmann) とともに著した冊子「宇宙誌入門」(Cosmographiae Introductio) において、フィレンツェ人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチにちなんだ「アメリカ」という名を初めて用いた人物である。
1507年4月25日、彼はリングマンとともに2種類の全体的な世界地図を作成し、それらの中で「アメリカ」という名を初めて用いた。1つ目の地図は、球状の世界地図の展開図であり、購入者が裁断して適切な球体に貼り付けて使用することを目的とされていた。もう1つの地図は12枚に分割されていて、額に入れて掲示するための巨大な世界地図である。

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『世界地図が語る12の歴史物語』 ジェリー・ブロトン/著、西澤正明/訳 basilico 2015年発行
発見 マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界全図 1507年 (一部抜粋しています)
マルティン・ヴァルトゼーミュラー(1470年頃 - 1521年頃)は、ドイツ南西部バーデン=ヴュルテンブルクのフライブルク・イム・ブライスガウ近郊のヴォルフェンヴァイラーで生まれた。マルティンは市議会議員の地位まで昇りつめた肉屋の息子で、1490年にフライブルグ大学に入学し、カルトゥジオ修道会の著名な学者グレゴール・ライシュの下で神学を学んだ。ヴァルトゼーミュラーは、マルティアヌス・カペッラが5世紀に書いた『文献学とメルクリウスの結婚』の中で提唱した、文法、論理学、修辞学の「三学」と算術、音楽、幾何学天文学の「四科」を修めたものと思われる。「四科」のうちの幾何学天文学によって、ヴァルトゼーミュラーユークリッドプトレマイオスなどの著述家を知り、宇宙誌学の原理の基礎を学んだ。
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当時の印刷工が直面したもう一つの問題は文字描画であった。地図では線画と文章を組み合わせることが必要なため、初期の印刷工は木版上で地図の細かな視覚表現のそばに文字を直接刻んでいた。そのため、文字は平刃の小刀による独特の角ばった簡素なゴシック体で刻まれていた。しかし、ヴァルトゼーミュラーの地図はちょうど、イタリアの人文学者たちに好まれた気品のあるローマン体によって旧来の技法が取って代わられる時期に製作された。ヴァルトゼーミュラーの地図では、文字のサイズと書体が統一されておらず、ゴシック体とローマン体が併用されていることから、地図を仕上げるためにスピードを優先したことがわかる。
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ヴァルトゼーミュラー図の歴史は多くの点で謎のままである。太平洋とアメリカの特徴的な楔形が描かれたことや、それが歴史の記録からすぐに姿を消したことまで、疑問は解き明かされていない。しかし、この地図が示唆しているのは、アメリカの起源や地図同士での時系列的な優位性を明らかにすることは妄想にすぎない、ということである。ある世界地図が作られる歴史的な瞬間には、その地図の起源に関する侵すべからざるアイデンティティではなく、全く異質な物語、競合する地図、様々な因習の衝突が明らかになる。起源は確実に存在するという考え方に対して、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの批判主義であれば、『世界全図』の歴史は「学者の情熱、互いの嫌悪感、熱狂的で尽きることのない議論、競争心から生まれた科学的手法の正確さと真理に対する献身」と同じであると説明できるかもしれない。初期の印刷技術は流動的で複雑であったため、優れた学問的研究が長年にわたり行われてきたが、『世界全図』をアメリカの姿と名前を正しく記した「最初」の地図と呼べるのかどうか、確かなことはおそらくわからないだろう。