じじぃの「人の生きざま_649_リヒャルト・ワイツゼッカー(ドイツ初代大統領)」

R Weizsacker 1985年戦後40年 記念スピーチ 日本語字幕 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jWeaiFhcA9k
ナチの蛮行を直視した統一ドイツ初代大統領ワイツゼッカー逝去  2015.02.02 ハンギョレ
ナチスドイツの過去の歴史を直視せよと促した、統一ドイツ初の大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカーが1月31日、逝去した。ドイツのDPA通信はこの日、ワイツゼッカー元大統領家族の発表を引用して彼の死亡の便りを伝えた。 享年94歳。
ワイツゼッカー元大統領は1920年シュツットガルトで生まれた。 英国オックスフォード大学で哲学と歴史を学び、ドイツのゲッティンゲン大学で法学博士学位を取得し、54年にキリスト教民主党に入党し政治に入門した。 89年のベルリンの壁崩壊、90年のドイツ統一、91年のソ連崩壊など歴史的激変期に西ベルリン市長(1981〜84)と大統領(1984〜94)として社会統合と民族和合に寄与した。
彼自身もナチの被害者だった。 第2次大戦で徴集され戦闘中に負傷し、兄は戦死した。 外交官だった父親はヒットラー政権に背いた疑いで戦犯裁判で7年の刑(後に5年に減刑)を宣告されている。
http://japan.hani.co.kr/arti/international/19537.html
『20世紀を一緒に歩いてみないか』 村上義雄/著 岩波ジュニア新書 2001年発行
1989年 「ベルリンの壁」消滅! (一部抜粋しています)
東西両ドイツをへだてていたベルリンの壁が1989年11月9日午前零時をもって事実上、崩壊した。東からでも西からでも自由に往来できるようになったのである。ドイツ国内はもちろん、ヨーロッパ各国から興奮した大群衆が集まり、ベルリンのの象徴的建物(ブランデンブルク門)の壁によじ登って旗をちぎれんばかりに振る若者の姿がテレビを通じて世界中に流された。
私は、1983年、89年、93年と「壁」の前に3回立っている。最初のとき、それは、永久に存在しつづけるのではないかと思われた。望楼にサーチライトと機関銃が据えつけてあった。「壁」のすぐ西側に粗末な台が置いてあり、登ると東ベルリンの街が見えた。自動小銃を構えパトロールする兵士の姿があった。そのほかに人影はほとんどなかった。「死にたければ乗り越えてみろ」。押し殺した声が聞こえてきそうに思えた。
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事態を劇的に変えたキーパーソンは、ソ連大統領ミハエル・ゴルバチョフ。彼が唱えたペレストロイカ(改革)は、ソ連およびソ連が強い影響力を堅持してきた東ヨーロッパに脱共産主義・民主主化実現要求の大波を起こさせた。大量の亡命者が出る。デモがふくれあがる一方となる。東ドイツ政府がやむなく「壁」の解放にふみきる。
私は、「壁」の崩壊を見届けるとチェコスロバキアに飛んだ。ソ連の戦車で息の音をとまられた1968年の「プラハの春」から21年、自由を求めてはじまった「ビロード革命」をこの目で確かめたかった。首都プラハのヴァーツラフ人場は、巨万の群衆で埋まり、新大統領で劇作家のバツラフ・ハベルが歓呼のなか、バルコニーから語りかけるような口調で演説した。
「我々は一滴の血を流さず自由を手に入れた」
群衆の中に号泣する姿があった。夜、雰囲気が一変する。広場の中央にローソクが並んだ。炎が揺れ、花束が捧げられ、大人も子どもも静かに手を合わせた。「プラハの春」の犠牲者に「ビロード革命」の成功を報告しているのだ。
93年、私はまたドイツにいた。「壁」が崩れたときの熱気が消えていたわけではない。しかし、懸念を抱かないわけにはいかなかった。ナチズムを信奉する「ネオナチ」とよばれる若者が外国人を襲う事件が多発していた。死者も出た。「外国人がいるおかげで職にありつけない。いますぐここから出ていけ」。外国人排斥の動きは容易に消えそうもなかった。そればかりではない。「強いドイツの復活」を声高に主張し、激しい行動をとるグループが少なかった。不況に苦しむ旧東ドイツが重荷になっている。しかし、それでも東西を自由に行き来できるようになったのは、なによりの財産、と人々は微笑むのである。
「壁」崩壊の翌90年10月3日、東西両ドイツは、45年におよぶ文壇の歴史に終止符を打って統一をはたした。記念式典でワイツゼッカー「統一ドイツ」初代大統領はこう演説した。
ドイツ統一は誰かに犠牲を強いることもなく、平和的に了解された。ナチス政権が起こした戦争は、人びとにはかり知れない非道や苦しみをあたえた。我々はその犠牲をけっして忘れない。歴史の女神は、今回、ドイツ人の味方をしてくれた。だから、我々はいっそう良心的に自省しなければならない。統一を人間的にいかに成功させるかは、国民一人ひとりの態度、開放性、そしてお互いの思いやりによるものだ。歴史は我々にチャンスをあたえた。我々はこれを生かしていこう」
第二次世界大戦で三つの分断国家が生まれた。ベトナムは、激戦の末、南北統一をはたした。ドイツは、民主化の大嵐のなかで統一をかち得た。残るは朝鮮半島だけになった。