じじぃの「人の死にざま_1687_アルフレート・ローゼンベルク(反ユダヤ主義者)」

Banking with hitler 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=V-1te7X0KKo
ヒトラーとローゼンベルク

ルフレート・ローゼンベルク ウィキペディアWikipedia) より
ルフレート・エルンスト・ローゼンベルク(Alfred Ernst Rosenberg、1893年1月12日 ? 1946年10月16日)は、ドイツの政治家、思想家。
国家社会主義ドイツ労働者党対外政策全国指導者。第二次世界大戦期には東部占領地域大臣も務めた。ニュルンベルク裁判で死刑判決を受け処刑された。
【人物と思想】
初期の彼の民族論・文化論は、1930年に発行された著書『二十世紀の神話』(Der Mythus des 20.Jahrhunderts) にまとめられている。しかしながら、その思想が偏狭で融通に欠けていることからヒトラーの側近には侮られ、後にはヨーゼフ・ゲッベルスにも「イデオロギーのげっぷ」と軽蔑された。彼の民族論によれば、人種の多元性を認め、未来のドイツ帝国から排除される人種はユダヤ人だけであるとしている。

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ヒトラーと哲学者』 イヴォンヌ・シェラット/著、三ツ木道夫、大久保友博/訳 白水社 2015年発行
ニュルンベルク裁判とその後 (一部抜粋しています)
10年の支配を経て、ヒトラーの夢は実現したかのように見えた。ローゼンベルク、ボイムラー、クリークといったナチ協力者たちが大学問を越えて結託し、その一方でベンヤミンアドルノアーレント、フーバーといった対抗者らは、国外退去させられたり、発言力を奪われたり殺されたりするなどした。ドイツの知性に対する征服計画は、完遂されたのだった。
だが帝国は千年も続きえない。クルト・フーバーやヴァルター・ベンヤミンももう数年生き延びられていれば、ヨーロッパが一面屍体の山に覆われるさまを目の当たりにしたことだろう。1945年が明けた冬、太陽が空の低いところにあり、地面に長い陰を投じているこの季節に、連合国はドイツ諸都市を徹底爆撃し、光という光がほぼ消し尽くされてしまう。巨大な塵雲が舞い、その下の混沌と残骸を覆い隠す。そして不自然なほどに暗い冬が春になると、わずかに和らいだ季節が芽吹き始める。
敗北が不可避となり、将校らから指導者に疑問を持たれ始めると、ヒトラーもにわかに取り乱し出す。
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ナチス指導者のほとんどが法廷へと突き出され、凄惨な証拠が並べ立てられたあと、人道に対する罪で起訴されていった。副総統で、ライツベルグ刑務所で総統が『我が闘争』をタイプ打ちするのを見守っていたルドルフ・ヘスも裁判にかけられている。次々と「対オーストリア、対チェコスロバキア、対ポーランド侵攻に加担」した彼は、「ユダヤ人迫害の各種命令に書名」してもいた。「党機構の保守管理管理エンジニア」と呼ばれた彼だったが、精神異常が申し立てられ、そのためか死刑を免れている。「被告ルドルフ・ヘス、有罪となった起訴状の訴因に基づき、国際軍事法廷はあなたに終身刑を言い渡します」。
東部占領地域大臣アルフレート・ローゼンベルクもまた法廷に立たされた。ローゼンベルクの著書『二十世紀の神話』が、『我が闘争』とともにナチス最高のバイブルであったことは、裁判のあいだじゅう誰しも認めるところだった。彼は同時代のドイツ人をイデオロギー的に戦争し、ユダヤ人迫害を推し進めた張本人である。彼の指令があってこそ、ゲットーの解体が進められ、大量殺人が促進されたのだ。平和に対する罪、侵略戦争の計画・開始・実行、戦争犯罪、人道に対する罪の4つを侵した共同謀議の責任があるとして、彼は有罪とされた。彼への判決は、以下の通り。「被告アルフレート・ローゼンベルク、有罪となった起訴状の訴因に基づき、国際軍事法廷はあなたに絞首刑を言い渡します」。
1946年10月16日朝、ニュルンベルク、ローゼンベルグの最後の瞬間として伝えられているのは、次のような恐ろしい情景である。
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ロープは2本の支柱に支えられた横桁からつりさげられている。各人に新しいものが用いされた。
落とし戸が開くと、囚人は絞首台の内部へと落ちて見えなくなる。その底は三面が板張りされており、残りの一面は暗幕で遮断されていた。であるから、つるされ、首を折られた男たちの死の苦しみは、誰からも見えないようになっていた。
[…]絞首台が、アルフレート・ローゼンベルクのために準備される。
ローゼンベルクの動きは鈍く、頬もこけていた。屋内競技場を見回す彼の顔色は、生気のない土気色だったが、気が乱れている様子はなく、着実な足取りで絞首台を登っていった。
自分の名前を名乗り、何か言い残すことはないかという問いにも、ただ「ない」と答えただけで、彼には一言も発しなかった。無神論を公言していたにもかかわらず、彼はプロテスタントの牧師に付き添われており、牧師はあとから絞首台を登ると、彼のわきに立、祈りを口にする。ローゼンベルグは一度、牧師の方を見たが、その顔は無表情だった。90秒後、彼はロープの端からつるされることとなった。囚人のなかでも、最速の処刑執行だった。